2019年8月26日月曜日

マジックの魅力



町田地区保護司会副会長 中里 真二

英語でマジック(magic)とは、1.魔術・妖術2.奇術・手品3.まやかし・トリック等の意味があり、魔術も奇術も同じものです。マジックの歴史は古く、古代世界の呪術師や預言者達が行っていたものがルーツではないかと言われています。最も古いものは、王の前でガチョウを切って繋いだ奇術が、紀元前1700年頃の古代エジプトの書物に記録されています。マジックはエジプトで生まれ、ヨーロッパを通じてアジアに渡り、日本には奈良時代に仏教文化と共に散楽雑技として伝わってきたという説が有力です。

マジックは色々なジャンルに分類されます。顧客との距離を利用したマジック、道具によるマジック、現象を使ったマジック、演出によるマジック等、その演技は多彩を極めています。

私がそんな歴史があり奥の深いマジックに興味を持つようになったのは高校生の頃で、初めはひとつのピンポン玉を手の中で二つに増やすマジックを自作して友を驚かせていました。それから本格的なマジックをやりたいと夢見ていましたが、時間的及び経済的な余裕がなく、ただ時間だけが流れていきました。しかし、その後ご縁があって昭和53年にミスターマリック氏に師事することとなり、マジックを本格的に始めることができました。

マリック氏には10年間指導を受け、その後平成3年には町田奇術協会を立ち上げました。以来マジックの指導を続ける傍ら、子ども会、町内会、学校やお祝いの席等年間40回位のショーを行ってきました。平成7年と平成23年の大きな震災の年には、町田市民ホールでのチャリティーマジックショーで、ダンボール箱からの恐怖の脱出、人体浮遊や人の瞬間移動等の演目を行い、収益金は被災地へ送りました。また、被災地への慰問も積極的に行いました。

体調不良で2年間ショーには出演できませんでしたが、弟子たちの指導は続け、今年から出演を再開できたのも先輩や仲間の保護司の方々のご支援とご激励のお陰と感謝し、マジックを続けています。
 町田地区保護司会新春の集いにて

多摩地区保護司会連絡協議会受章祝賀会にて

町田市民ホールでダンボール箱から恐怖の脱出

町田市民ホールで阪神淡路大震災募金公演

       人体の消失出現

町田市民ホールで東日本大震災募金公演 人体交換

人体浮遊 

孫と共演

2019年7月8日月曜日

虚無という報酬 ~覚せい剤から更生しようとする人々に~

                                                  八王子地区 山田雅彦

我をさえ全く忘れて身震いするという恍惚
日々のしがらみから抜け出せるという幻想の空間  
肉体を呪縛する金鎖からの解放
昇ってまた浮遊していく天人の感覚
我を取り巻く周囲は光輝き、力みなぎり
動物としての睡眠さえ不要にするという・・・その短い瞬間

全く微量の覚せい剤と呼ばれる白い粉が
その人間を天上にまた劇場のスポットライトの中に
眩い光と歓声の渦の中に浮き上がらせ
しばらくは、そう、ほんのしばらくは、泳がせるのだという
覚せい剤という薬物が作り出した、この虚偽の精神と空間
そうして・・・徐々に、やがて、血中のまぼろしが消えると
自ら作ってしまった、虚偽の空間と精神から
必ず、戻らなければならない、いつもの自分に
必ず、還らなければならない、自分の在り処に

人はぼんやりとし、やがてのたうち、胸をかきむしるとき
虚偽と破滅にまた浸かって、自分の存在を忘れるか
それとも、いつわりの快楽の刹那を求めて
再び、三度・・・虚偽の空間にしばし浸かろうとするか・・・
諾、否、諾、否、諾、否・・・・・・・
差し伸べられる手を探り当てて、苦しみ悶えて抗えるか!
すぐ目の前にある、精神も肉体も焼き尽くす必然の瞬間に

人が自分を快楽の怪物に変身させたことは
すぐさま自らを無限奈落の底へと突き落とす
虚脱感、虚無感、焦燥感、幻聴と幻想
無力感、孤立感、罪悪感、倦怠と自傷
再び、立ち上がれるか、立ち向かえるか!
この薬剤を存在させた、最も巨大な、人間の罪悪と

2019年4月25日木曜日

癒える日は、あるか  ~保護司としてのある出会いから

           八王子地区  山田 雅彦



その女性は

夫、を、殺した

果てしないDVの果ての

睡眠薬と電気コードと自棄の殺意の深夜

それから暗い夜とさらに暗い昼を十五年・・・

厚く高い壁の中で「女」と「人間」を見ることなく

ひたすら「殺人」と「自分」と向かい合う日々を十五年・・・

しかし

その日々は、自分を苛む日々で、ゆるす日々にはならなかった



社会復帰のための更生施設に入所しても

毎夜のトラウマと精神薬の副作用で

自由になったはずの心はさらに傷ついて

周囲の暖かい傾聴も助言にも癒されることなく

数々の精神科も精神薬も躁と鬱を往来させただけで

昼間の肉体を使う仕事に現実と痛みを忘れても

自らを罰する深夜は変わらない



病となったその心は、心配の人も薬もそして自らも治せない

今、一人暮らしは否応なく日々の「孤独」と向き合わせる

時は、前と後ろに刻一刻と過ぎていくが

自らが築いてしまっている自己防衛の城壁は未だに崩せない

彼女が自らをゆるす日は、いつ、訪れるのか

ほんとうの笑みは、いつ、その頬を緩めるのだろうか

私は、あなたにある、遠い、遥かな未来と

あなたがあなたを恕せるようになる日々を重ねる

2018年12月23日日曜日

子ども食堂の一日、子ども達はたからもの


                    八王子地区保護司  山田雅彦



 八王子市には現在8箇所の「子ども食堂」があります。それぞれが独自の形態を持っていますが、私が関わる「ほっこり食堂」は、市内でもちょうど真ん中あたりの元本郷町に位置しています。ここで子ども達、そのご家族と関わるようになって1年半が経ちます。私はいい年なので()、男手ひとりでも誰からも警戒されず、もちろん子ども達には唯一の男性ということで、「アイドルじいじ」などと言われて喜ばれて(?)おります。

 さて、どんな風に「ほっこり食堂」でのひと時が送られるかお話いたしましょう。

 午後4時前には食堂に(個人の篤志家がお貸し下さった全くの一軒家です)到着します。もう主任児童委員の女性達が50人分のおかずを作っています。いつも4品ありますが、2品は手がかかるものです。私のすることは近郊農家で余った野菜を寄せて下さる方がいらっしゃるので、その野菜を小袋に分けて欲しい方々にお分けする準備をします。すると、一番早い中学生が学校からの帰りに寄って勉強をします。横に座って「これは?」と訊ねられる度に答えます。最近この中学生は部活に入って6時半頃にやってきて、塾の勉強をしてから食事をして小さな子と遊んでくれます。

 5時半になると、母子3人連れがやってきます。こちらも宿題を済ませます。もちろん横に座ってベタ褒めに()しながら進めます。兄も弟もおとなしく真面目なので楽です。合間にお母さんと話します。やはり子育てや勉強のことが主題です。

 続いて母子の二人組。うかがうとシングルマザーです。娘は1年生、快活なお子さんですが、支援学級に在籍しているそうです。この子は絵を描くのが大好きで相手をします。時々「おじいちゃん!」とやさしく言ってくれるので可愛くて仕方ありません。しばらくするとお母さんに急かされて食事に移りますが、最初はあまり食べなかったのですが最近はよく食べるようになり嬉しい限りです。先刻の二人の兄弟はお替りして食欲旺盛です。食後に「オセロ」の挑戦が待っているからです。

 食堂には初めての子ども達が現れると、紙芝居をしたり、絵本を読んであげたりします。あぐらの上に乗っかって一生懸命に聞いてくれます。それはそれは気持ちがいいですよ。私には存在感を一番感じるひと時です。

 一息ついていると、ベビーギャング()が3組やってきます。子どもは合計6人です。上が1年生、他は保育園の子ども、「おっ、いるいる!」と玄関から上がってくるといきなり一人が背中にパーンチ!弟はキーック!もちろん反撃はします()。まあ、プロレスごっこみたいな遊びが始まります。まあ、食事が本格的に始まるまでの20分ほどはかかりっきりになります。結構な肉体労働ですが、これも子ども大好きな私ですから喜んでやっています。周囲からはあきれられています。狭い住宅なので、走り回ると怒られてしまいます。私も彼らも楽しいから懲りずに続けていますが、やはり子どもたちは本気になるので、ケガをさせないように気を遣います。

 このギャング達が食事に落ち着くと将棋やオセロが始まります。なかなか真剣!なんとか私を負かそうとして懸命です。負けてやりたいと思いながらつい勝ってしまうことが多くて、やはり人間ができていないと思うこの頃ではあります。この間別室では何組もの大人が見えて、食事を摂ります。中には、おかずが少ないだの、盛りが悪いなどケチをつける大人もいます。こういう人がむしろ毎回来ているのは不思議です。耳をそばだてていると他人の悪口や金のことなど、どうも性格はイマイチ・イマニです。

 ギャング達は食事を済ませると第2ラウンドを挑んできます。あしらいながら、絵を描いたり、声をかけていない子ども達全員に声をかけます。もちろん笑顔を精一杯振りまいてますよ。この食堂に来る子ども達が皆楽しくなり幸せな気持ちで自宅に帰ってもらえるように!

 しかし、この食堂の存在価値を考えると、この時間在宅して一人でカップラーメンやコンビニ弁当を食べている子ども達の顔が浮かびます。何とかしてそういう子ども達を食堂に招き入れることはできないものかと・・・・これが最大の願いになっています。

 時間は瞬く間に過ぎて8時になります。帰る時間です。毎回フードバンクなどからいただいたお土産もあります。子ども達は親が急かさない限りはいつまでもいたいのですが()、仕方なく送り出します。最後まで遊びふざけていた子も親に怒られながら、バイバイと手を振り、道路の向こうの闇に消えていきます。いつもその時はちょっとセンチな気分になります。

 8時になるとやっとスタッフの時間です。いつも8人から10人くらいです。時々ボランティア、大学生もやってきますが、案外その方々は一定しません。私たちは、その日にあった出来事を振り返りながら全員で反省も加えて食事をともにします。9時近くになると食事も終わり片付けが始まります。私は一足早く帰途に付きますが、私の最大の土産は、「子ども達の笑顔」です。あの越後の良寛さんになれたら、それが私の今の純粋な願いです。

2018年11月30日金曜日

日本ワインはいかがですか?

                                                               調布・狛江地区保護司会  鈴 木 宗 貴
                                                                         (日本ソムリエ協会認定 ソムリエ)

 ここ十数年、日本のワインが美味しくなったということを、お聞きになることが多くなったと思われませんか?

日本で栽培されたぶどうで作られたワインは「日本ワイン」と表記されるようになりました。簡単に歴史に触れますと、江戸時代初期に九州の小倉藩で始まったと言われますが、本格的には明治10年、勝沼で始まりました。

 日本人に親しまれるようになったのは、明治40年にワインに甘味料を加えて、甘く飲みやすくした「赤玉ポートワイン」のヒットによります。昭和48年から赤玉スイートワインに名前が変わりましたが、甘いワインが好きと言われるかたが多いのは、この影響が続いているのかとも思っています。

 日本では、フランスの製造法を基に長く、ワインを作ってきました。日本人の評価はすっぱい、甘すぎる。外国人の評価は、薄くて水っぽいというものでした。日本の気候は高温多湿なので、そもそもワイン用のブドウ栽培には向きません。そこで、日本のブドウにあった作り方があるだろうということに変わってきました。その代表的なものの一つが、メルシャンが2005年に発売した、日本固有の甲州というぶどうを使って、はじめて、日本固有のブドウから柑橘系の香りを引き出した、「甲州きいろか」というワインになります。

 地ビールは広く認知されてきましたが、ウイスキーや、ウォッカなどの洋酒でも、国産原料で生産する小規模生産者が増え、国際的に高い評価を受ける銘柄もでてきています。逆に、日本酒の評価が世界で高まってきており、外国人により、海外で醸造する蔵元が誕生しています。

こだわりを持った生産者の思いと共に、国産ワインを楽しまれてはいかがでしょうか?

追記:保護司会の皆様からの依頼でしたら、ボランティアで、ワイン講習をさせていただきます。


2018年11月6日火曜日

我が家のぬか漬け


               府中地区保護司会  野口 良子



姑からバトンタッチをして20数年。今年で70歳位のぬか床です。




嫁いで来たときには、なんと臭いのかと思っていましたが、今ではなくてはならない一品となりました。よそ様でぬか漬けを頂く機会がなく、味比べはできませんが、自己流で楽しんでいます。

ぬか床が欲しいといわれ、7回もお嫁に出しました。元気でいるのかしら?・・

米ぬかには、ビタミンB1など様々な栄養成分が含まれています。ぬかの中のでんぷんや、たんぱく質を分解し、うま味の素となるアミノ酸を増やし、これらが腸内環境を整えて、健康にいいらしい。

そこまで考えながら食べたことがないのですが、「おいしくなーれ」と愛情をこめてかき混ぜています。ぬか床は正直です。かき混ぜないと味が落ちるし、新鮮な野菜を漬けるとおいしい!そして、旬の野菜が一番美味しいと気付きました。



春の新生姜は待ってました!茗荷もおいしい!春キャベツも、また、格別です。

保護司活動の合間を楽しむ、我が家の小さな、小さな自慢でした。


2018年10月3日水曜日

独りということは・・・



                  北多摩北地区保護司会 東村山分区 小松 健二

 
 定年退職後にボランティア活動の一つとして与えられたのが保護司であった。あっと言う間に十数年が経ち、最近は体力の衰えを感じることが多くなってきた。こんな時こそ、やり残したことが頭のどこからか浮かび上がってくるもので、残された体力をふりしぼって断捨離ならぬ終活を始めることとした。

 真っ先にやりたかったのが登山、いや登山は手段で目指すは高山でなければ見られない石南花(シャクナゲ)の花を観ることである。学生時代にしばしば登った八ヶ岳の編笠山(標高2524m)、その山腹に可憐に咲きいつも心を癒してくれた忘れられない花に、もう一度会いたかったのである。最初は独りで行くつもりだったが、しかし会いたい気持ちはやまやまでも長い間、高い山には登っていなかったので次第に不安が募る。そこで山好きの友人を誘い二人で登ることとなった。当日は晴天に恵まれ、麓をスタートしたときの足取りは軽く二人で歩調を合わせながらの山登りは順調であった。休憩を挟みながら2時間ほど進むと辺りはすっかり高山らしくなり、その頃から足取りは重くなり一歩一歩踏み締めるような歩調に変わっていた。更に歩を進めて、この辺りかなと休憩をしながら周りを見渡したとき木々の間に石南花を発見。遂に昔と変わらぬ期待通りの憧れの花と再会することができたのである。しかし話はここで終わらない。花に会えた後はすぐに下山するはずだったが急遽、編笠山の頂上まで逆に登ろうと言うことになったのである。登山でスケジュールを変更することは危険なこと、好ましくないこととは承知していた。にもかかわらず、敢行したのには理由があった。天候が良かった、何度も登っている山であった。それでもリスクはある筈なのに。敢行を決定づけた最大の理由は、独りではなく、ふたりであったこと。独りだったら不安だらけ、でも二人だったら安心感で勇気倍増ということになる。

 保護観察対象者も同じことを感じながら日々生活しているのではないだろうか。対象者に寄り添い、真に求められる処遇とは何なのか、を自問しなが更生保護に活かしたい。