2022年12月15日木曜日

きっかけがあれば

                              府中地区保護司会 田中節子

仕事柄、障害のある方と接することが多いが、ある老健施設で一人の80代の女性に出会いました。地方に住む娘に迷惑をかけたくないと頑張って一人暮らしを続けてきましたが、腰の痛みや足の痺れが強くなり、外出もままならず家事にも支障をきたすようになりました。何とか自分の力で頑張りたいという願いは、この状態では難しく思われました。元の生活に戻れないかもしれないと不安な気持ちで過ごしていた頃です。その頃、話題になっていたのが「置かれた場所で咲きなさい」という本でした。読んでみたいということで本を貸し出しました。本を読んだことをきっかけに、少しずつリハビリにも前向きに取り組むようになり、痛みも次第に薄れて施設内は自由に歩けるようになりました。「本が背中を押してくれました」、「もう暫く頑張ってみる」と笑顔で退院されました。

ある日の新聞には「84歳人生輝く仕上げ縫い」という記事がありました。80代の男性の人生を輝くものに変えた「がま口バック」のことです。その男性は3年前まで病気などでふさぎ込む生活でしたが、元気がないのを心配した娘さんが職人の心を取り戻してほしいと、元職人のお父さんにミシンの修理を依頼したことがきっかけでした。針の動きに興味を持ち、最初は娘さんの依頼でブックカバーを作り、コースター、ポーチと次々製作していきました。それを、孫がツイッターで「じーさんソーイング」という名前で投稿したことがきっかけで多くの注文が寄せられ、毎日ミシンに向かい生き生きとした生活を送っているという記事です。新聞には素敵な笑顔が載っていました。


高齢になると身体的、精神的な不調を抱え、今まで通りにはできないことが多くなります。それを受け入れる心のありよう、それを支える家族や周囲のサポーターの存在が今を乗り越える力添えをしてくれると思います。

小さい頃から支えてくれる家族等に恵まれない対象者を担当することがあります。対象者との出会いが立ち直りのきっかけとなり、諦めず今できることをやり抜く力を養えるようにサポートしていきたいと思います。継続は力なりを信じて。

高齢のお二人から、きっかけがあれば人は変われる、必要とされる場があれば何歳になっても輝けることを教わった気がします。

 

2022年11月20日日曜日

手打ちうどん

                                                                             北多摩北地区小平分区  緑川 多喜男


小平には昔から「かてうどん」と言ううどん文化が有ります。この小川地域においては、お米が取れず畑作で小麦しか出来ない中での最も美味しい食べ物として「うどん」を作って食べられていたようです。しかし何時も食べられていた訳でなく、祝い事や宴席などの特別な時に出されていたつけ麺でした。当時は大切なご馳走であったとの事を地元の方から聞きます。それらが今では「武蔵野うどん」と呼ばれて食しているのが現在です。

そんな中で自分もうどんを作ってみようと月一回「うどん会」の集まりの時など先輩に指導を受けながら作り、また自宅で試し作りをしました。最初はゆでても短いうどんや、軟らかすぎて失敗ばかりでした。ある時テレビ局の取材が入ったとき自慢げにうどんを作り取材の人達に振舞ったところ、地粉を使ったうどんは食べ慣れない人にはやや硬めの様であったため、取材の人達は一瞬驚いた様子で食べました。余り好評ではなかったように思えたので、つるつるとのど越しの良い「うどん」を作ろうといろいろと工夫を変え自宅で練習を重ね、粉は北海道産の「道産子」と長野産の中力粉を半々に混ぜ、植物オイルを混ぜる。常温の塩水で練り、夏は冷蔵庫で、冬は布団の中で一晩寝かせます。茹でる前に伸して2ミリ幅で麺を切って置き、十分沸騰したお湯で20分茹でます。そして水で3~4回洗い流してできたうどんが「讃岐風うどん」で、のど越しが良く弾力のある麺を早速つけ麵で頂くのが自慢の「手打ちうどん」です。しかし2、3日目の煮込みやカレーうどんはのど越しが良く普段の二倍は頂ける「うどん」になっています。

2022年9月18日日曜日

地域のコミュニティーの大切さ

 

                   町田地区保護司会  安西周三

  平成23311日東日本を襲った大震災後に、東北を中心に仮設住宅に住まれる方々に対して無料税務相談会を開催してきました。岩手県宮古市、大船渡市、野田村、宮城県の多賀城市、福島県、沢山の仮設住宅で相談を受けました。財産も家族も失った方々から震災当時の様子を聞いたり、マスコミでは報道されていない画像を直接見せられたりと、実際の様子を目のあたりにして災害の恐怖を感じました。被災者の方からの相談では、親族が亡くなった際の相続手続きをどうすればいいのか、財産を把握するのにはどうすればいいのか、津波で壊れた家屋や土地をどうするのか、災害の規模の大きさを直に感じ、被災者の抱える諸問題の多さに圧倒されました。

 




講演会の後に継続的に行った被災者との交流会で、住民の皆さんが地域のコミュニケーションに深く関心を持っている印象を受けました。震災時「ご近所さん」からの情報は行政からの指示より早く、安全な場所への移動、支援物資の受け取り等で何より必要だったとのことで、被災者の方々は各家庭に「お声がけ」を積極的に行ったとの報告でした。最近では自治会に参加されない住民もある中で、普段からの地域のコミュニケーションがとても重要であると思われました。災害が発生したときに、直ちに行動できるのは、地域に住まわれているご近所の住民ではないかと思います。行政では対応が遅れてしまいます。対応の遅れが災害を拡大させます。普段から地域の活動を支援しながらコミュニティーの大切を共有する活動の中で、保護司の活動も展開したいと思っています。


2022年8月21日日曜日

笑いで健康づくり

西多摩地区 関谷 忠

「定年後を楽しく」と始めた『みずほ熟年塾』も、今年で15年になりました。その活動のひとつ、料理教室で使う安全な食材を自ら作るため、300坪の農地をお借りしたところから、この会は始まりました。畑に小麦を栽培、それを脱穀し粉に挽いてうどん打ちを楽しむ。時には『ふるさと学習』の名のもとに、近隣の小学生にうどん打ちを教えています。小麦のほかに、ジャガイモ、サツマイモ、サトイモ、ホウレンソウにノラボウ菜などを栽培しています。農作業は大変ですが、仲間と一緒ですと草取りなどあっという間。休憩時には、昔ばなしに花が咲き、疲れがいっぺんに吹き飛びます。


発足当初からの会員のひとりに、今は他界された当時の西多摩地区保護司会の役員さんがいて、その方に誘われ私は保護司の仲間になったのでした。公立中学校がいろいろと吹き荒れていたあのころ、ともすれば、この学年の子さえ卒業してくれれば、と思った日々。しかし、卒業後には地域の保護司さんにお世話になっていることを知った矢先のことでした。

その後、私たちは『街に笑いを』『笑いは健康の源』と、地元にいながら都内の寄席を味わうことができるように、手作りの地域寄席を発足させました。客席に椅子を並べ舞台に高座を作り、会場の外には『落語会』の幟旗を立てます。年に3回の落語会の出演者は、過去に私の勤務校にお招きした若手真打のみなさんです。こちらも15周年、リピーターの方々が、元気に山の上のホールに来てくださいます。


      

2022年7月17日日曜日

治水事業と地域社会

                     調布・狛江地区保護司会 柿澤正夫

 私の故郷は、木曽三川が伊勢湾に流れ込む三重県桑名市です。木曽川、長良川、揖斐川がほぼ直線的な川筋を作って伊勢湾に流れ込む姿は雄大です。しかし、この3本の川は江戸時代には川筋が入り乱れ、支流、分流が多くあり、そこに輪中(農業や住居となる土地を堤防で囲った地域)と言われる地域が多くありました。輪中地域は,例えば上流地域で堤防を強固にすると大水が出たときに下流地域の輪中の堤防が切れるなど、地域間の対立が絶えませんでした。江戸時の農民はこの時期盛んに訴状や提訴を治水担当の旗本や幕府に提出しており、その文書が何万通と残っており研究者の研究が進んでいます。

 輪中間の対立が解消されたのは、明治に入りオランダから招いた技士の指導で三川が分流され、川筋もできるだけ直線的に改められてからです。しかし、ここでも多くの人々が立ち退きを余儀なくされ、現在の名古屋市の北区と東区を合わせた広さの地域で立ち退きが強制されました。北海道に移住した村もあります。

 昔は各輪中が自らの利害を主張して対立していたのが、大きな犠牲を払ったとはいえ、その対立が消え、輪中に暮らす人々の連帯が生まれ、水害予防組合や消防団等の住民組織で治水が進められています。しかし、ここでもまた地域の高齢化や自分中心の利己的な考え方の蔓延でなり手がだんだん数なくなっています。地域で活躍する保護司と同様の問題にぶつかっているのです。

治水事業の伸展の中で、先人が他の地域と対立してでも守ろうとした地域社会、各地域の連帯によって守り抜こうとした地域社会、そうした歴史の中で、今、高齢化等の問題で連帯感が薄れ水害予防組合や保護司のなり手が少なくなっている地域社会をどのように守り抜くのか、真剣に考え直す時期に来ていると思います。