2013年11月9日土曜日




懸命に生きよう
北多摩東地区保護司  志波直男
 
 
近年夏の暑さは格別です。東京でも気温が35°C前後に達する日が何日か続くことが珍しくなくなっています。
また一頃に比ベセミの鳴き声が少なくなったような気がします。暑さと関係があるのかな、と思ってインターネットで調ぺてみました。
 すると、セミは種類により朝鳴いたり、夕方鳴いたり、ニイニイゼミのように、終日鳴くセミもいるが、気温が35°C以上になると、活動が鈍りあまり鳴かなくなるそうです。夏の代表選手であるセミも猛暑には弱いようです。
 ところで、セミは一生の大半を地中で過ごし、地上に出てせわしなく鳴くのはほんの数日間といわれています。
 セミは前年のフ~8月頃に木の幹に産卵し、翌年の梅雨時に孵化します。そして地上の柔らかい土の上に落ちて、地中に潜り、6~7年にわたる長い地下生活が始まります。その間に脱皮を繰り返し成長していきます。
 その後、地上に出てきて木の枝や葉の裏などで羽化して成虫になり、7日間ほど精一杯の声を張り上げ、賑やかな夏を演出するのです。鳴くのは雄だけで、これは相手を求める求愛行動であるといわれています。
 地中の数年間がやがて羽ばたくための雌伏の時であり、地上での数日間が子孫を残すために与えられた期間ということになります。天敵にやられたり、雌に巡り会えないで子孫を残せなかったセミも数多くいると思います。
 従ってセミは、地中の期間を含めこの世に生を受けて7~8年のうちわずか数日間を文字通り懸命に生きるのです。
 翻って人間は長い人生の毎日を命がけで生きるのはしんどいですが、人生を振り返った時に、生きていて良かった、幸せだった、と言えるような充実した一生を送りたいものです。
 不幸にして道を誤ってしまった人も、そこで人生をあきらめてしまうのはもったいない、なんとか再起を期して残りの人生を懸命に生きる努力をしてほしいと思います。もちろん、わたしたち更生保護に携わる者のみならず、社会全体で彼らをパックアップしていかなければなりません。
 
 
てまりとともに

日野・多摩・稲城地区  寺沼恭子
 

 てまりに出会ったのは長女が桐朋女子中学校に入学した年でした。もうかれこれ30年前になります。本屋で何気なく手にしたてまりの本に心引かれた数日後、父母会の帰りに偶然学校近くの銀行に、てまりが飾られているのを見つけて釘付けになりました。「てまりなさってみませんか?」と
声をかけられ、その場ですぐ「お願いします。」と答えました。
あれから四半世紀以上の時が過ぎ去り、手ほどきしてくださった先生や先輩達の多くが旅立たれてしまいました。それぞれの時代に作ったてまりを手に取ると、友との思い出がよみがえりいつでもその頃の自分に戻ることができます。
 昼夜逆転した少年の来訪を、深夜までてまりをかがりながら待ち続けたことが幾度となくあったことも今懐かしく思い出されます。
 
15年ほど前から、日本の伝統文化てまりを海外に紹介する活動に参加しています。海外の在日本国大使館や領事館で「日本のてまり展&講習」を行ったのは、ロンドン・パリ・クロアチア・北京・広州・べトナム・韓国・台湾・タイ・ウズベキスタン等など、どこでも日本語を勉強している大学生の多いことに驚きます。日本語学科の学生達が通訳を引き受けてくれますので、言葉が話せなくても不便を感じたことはありません。普通の旅行では体験できないような現地の方々との心に残る交流が毎回あります。
 
今年10月には「第10回てまり展示会&全国てまりコンテスト」が憲政記念館で開催され、私の創作てまりが思い掛けず外務大臣賞を戴くことになりました。
 永い年月、てまりかがりは生活の一部になっており一日の終わりに針を持つと心が安らぎ落ち着きます。
これからもてまりのように丸い心で対象者と向き合い、海外活動にも参加できるよう健康管理をしたいと思っています。
 
(写真:クロアチア科学芸術アカデミー彫刻美術館での展示)


2013年10月3日木曜日

                           「あじさい寮」を訪ねて七句

 
                                                                            北多摩西地区保護司 有吉たまき


  神奈川医療少年院(あじさい寮)の視察に参加しました。知的障がいや広汎性発達障害等を抱える少年が入所しています。院長や教官の優しいまなざしに満ちたこの場所で、治療と矯正に励む少年達に接して…。

          手作りの花瓶へ紫陽花活けて待つ
          母想う子想う母や梅雨晴間
          葉桜の風少年へ等し生(あ)れ
          少年を見守る並木濃き青葉
          回り道穂先は天へねぢり花
          掛け声の響(とよ)む青芝「光りの道」
          院生へ黄明かりそそぐ凌霄花(のうぜんか) 





    マジックとの出合い
        北多摩西地区保護司会昭島分区
         根 岸 智 子

私とマジックとの出合いは、「マジックを教えている」先生が近くにお住まいでいらっしゃることを知り、興味をそそられて、そのクラブ(昭島マジッククラブ)に入会したことです。入会当初は、結ばれていた筈のシルク(ハンカチ)がアッという間に解けたり、ロープの中からシルクが飛び出したり、また、切れた筈のロープが一本に繋がったり、カードがアッという間に消えてしまったりと、ただただ〝不思議〟と〝驚き〟の連続でした。これらのマジックは初歩的に思えますが、実は、演じ方によって見る人をアッと驚かせる素晴らしい演技となるのです。
 
 私たちのクラブは、メンバー10人(先生と男性6人女性3人)で、とても家族的なグループです。月3回の練習日は、和やかな中にもお互いに切磋琢磨し、技術の向上に励んでいます。

活動としては、昭島市の「いきいき健康フェスティバル」や「青少年フェスティバル」に参加したり、市内の幼稚園や小学校も訪問しています。また、介護施設には年に数回訪問し、利用者を和ませ激励しています。特に、「青少年フェスティバル」では、午前、午後の二回公演をしており、それぞれ、前半は私たちの演技を行ない、後半は子供たちに教えています。毎年楽しみに来てくれる、顔なじみの子どもたちもいて、私たちも励まされています。こうして、各方面の依頼を受けてボランティア活動をしていますが、それぞれの依頼先に合った出し物を用意するため、会員同志が十分話し合ってから出向くようにしています。

このように、仲間づくりとともに、地域の方々とのふれあいを通じて、日々マジックを楽しんでいます。少年院等施設の慰問のお役にたてる機会があれば嬉しく思います。 
 

 

2013年9月10日火曜日

           国史跡 武蔵府中熊野神社古墳


府中地区保護司会 広報部会 


 この古墳は、平成15年に西府町2丁目に所在する熊野神社境内の発掘調査で確認され、平成17年に国史跡として指定されました。
  全国に30万基あるとされる古墳のうち、上円下方墳(盛り土の上が円形で下が方形となる)は、この古墳を含めて、わずか3基しかありません。しかも、この古墳のように墳丘・石室の全貌がわかる例は大変珍しく、発掘調査でみつかった7曜文が象嵌(7つの円文からなる模様を刻み、銀線を埋め込んで表現)された直刀の鞘金物は、全国的にも類例のないものです。
  古墳の形や発掘された遺物から、古墳が造られた年代は7世紀中頃と推定されますが、この古墳を造り葬られた人物は、武蔵国の国府が府中に置かれた謎を解く、いわば鍵を握る人物と言えるでしょう。つまり現在の国府の街「府中」のルーツとも言うことができる古墳なのです。
  熊野神社は、国道20号線(甲州街道)が鎌倉街道と交差する「本宿交番前」の交差点の北西角から、八王子方面に220メートルほどの場所にあります。北に伸びる参道の突きあたりに社殿があり、さらに奥に復元をされた古墳が姿を現し、そして国史跡武蔵府中熊野神社古墳展示館が完成しました。皆様是非足をお運び下さい。


 

 



                 苑生に見守られて~私の育児~

八王子地区保護司  倉島ひろみ(紫翠苑)
更生保護施設「紫翠苑」に勤務しながら、妊娠・出産・子育てというライフイベントを経験させていただいています。
  私自身は高齢出産ですが、若年出産をした苑生の少女からは「私のときはこうだったよ」とたくさんのアドバイスをもらいました。ノートいっぱいに子どもの名前を考えてくれた少女、大きくなったおなかをさすりながら「今日の就労面接がうまくいきますように」と拝んでいた少女、成人の苑生たちも気づかってくれました。
大きくなっていくおなかをみんなが楽しみにしてくれて、私にとっても苑生たちにとっても、あたたかな時間が流れていました。
  長男を出産し、行事や休日など機会をみて子連れで出勤しています。苑生たちの多くは子どもを施設や家族に預けています。特に少女たちは産んですぐに離れ離れになり、「子ども」を実感できづらい状況にあります。おそるおそる離乳食を食べさせてくれる人。懐かしそうにオムツを換えてくれる人。泣き出したらあやしてくれる人。長男をとおしてそれぞれの子どもや子育てしていたころの感情を思い出しているようです。女性にとって「子ども」の存在は大きく、生きていくための源でもあることを改めて実感しています。
 
  紫翠苑という多世代多様な家族のなかで育み育まれている長男。成長を見守ってくれる人がたくさんいることを幸せに感じています。そして長男とのふれあいが、苑生たちの更生意欲に少しでも良い影響を与えることができたならどんなに素敵なことかと期待しています。

2013年7月31日水曜日

西多摩の市町村の合併と変遷

西多摩の市町村の合併と変遷 ー 行政区 今昔 ー
                                                                                                広報部 武内 昌一
 総務省によると平成の大合併で全国の市町村の数は、平成11年3月末で3,232あった市町村が、平成25年1月1日現在で1,719市町村になったという。西多摩地域において、市町村の合併の特例等に関する法律で合併したのが旧五日市町と旧秋川市で、新たに「あきる野市」が平成7年9月に誕生した。これにより西多摩の行政区画数は8となった。 誕生以前の同市及び各町村名はどうであったかとなると、法が整備され施行された明治時代の初期まで遡及しなければならない。
 明治4年(1871年)戸籍法の制定で住所氏名等の各役場への届出が義務づけられた。一方、市町村の法制度は、明治11年、郡区町村編成法が、次いで同21年に市制町村制の公布で市町村が再編成された。明治政府による強制的な町村合併により、全国に約70,000あった町村の数が13,300余へと激減、再編された。西多摩郡においても98あった郡内の町村名が32町村となった。消え去った村名は現在”何々丁目”、或いは”大字何々”でその一部が現存している。明治中期から大正初期の町村名は、当家に保存されている大正3年(1914年)発行の西多摩郡役所の東京府西多摩郡第一回郡勢一斑、及び各市町村史によると以下の通りである。
------明治~大正-------------------------------------------------------------
※町は青梅町と五日市町 
※村は30村(西から)
・小河内村,氷川村,古里村(現奥多摩町)
・檜原村 (現檜原村)
・三田村,吉野村,成木村,小曽木村,調布村,霞村(現青梅市)
・小宮村,明治村,戸倉村,三ツ里村,増戸村(旧五日市町)
・大久野村,平井村(現日の出町)
・西多摩村(現羽村市)
・長岡村,箱根ヶ崎村,石畑村,殿谷村 (現瑞穂町)
・菅生村,草花村,瀬戸岡村,原小宮村,西秋留村,東秋留村(現あきる野市)
・福生村,熊川村(現福生市)  
------現在--------------------------------------------------------------------
※現在の行政区の市と町の誕生は次のようになる。
※現在の人口についてはカッコ書で示している。
 青梅市、福生市、羽村市は平成25年4月1日現在、その他は5月1日現在の人口。 

●奥多摩町(人口 5,753人)
・昭和30年 小河内村,氷川町,古里村が合併 奥多摩町誕生
 
青梅市(人口 138,431人)
・昭和26年 調布村,霞村と合併 市制施行
・昭和30年 三田村,吉野村,成木村,小曽木村を編入
 
日の出町(人口 16,993人)
・昭和30年 大久野村と平井村が合併 日の出村誕生
・昭和49年 町制施行
 
羽村市(人口 57,133人)
・昭和31年 町制施行 羽村町誕生
・平成3年  市制施行
 
瑞穂町(人口 33,801人)
・昭和15年 長岡村,箱根ヶ崎村,石畑村,殿谷村が合併 町制施行 瑞穂町誕生
・昭和33年 元狭山村の一部と越県合併
 
あきる野市 (人口 81,818人)
・大正10年 菅生村,草花村,瀬戸岡村,原小宮村が合併 多西村誕生
・昭和30年 多西村、西秋留村、東秋留村が合併 秋多町誕生
・昭和47年 市制施行  秋川市誕生
・平成7年  五日市町と合併 あきる野市誕生
 
旧五日市町
・大正7年  三ツ里村、明治村と合併
・昭和30年  小宮村、戸倉村、増戸村が合併 
・平成七年  秋川市と合併
 
福生市(人口 59,055人)
・昭和15年  福生村と熊川村が合併 町制施行 
・昭和45年  市制施行            
なお、檜原村の人口は2,502人である。


郡勢一斑によると当時の西多摩郡の人口は、大正2年に集計した記録で86,413人。現在の人口は約395,400人となっている。初めての西多摩郡の統計だった調査報告書、第一回郡勢一斑が東京府で編纂され発行されてから百年、一世紀を経た変遷の一部を紹介するものである。

[参考文献] : 東京府西多摩郡第一回郡勢一斑,日本全史(講談社),新編武蔵風土記稿 三多摩編(復刻版 千秋社),西多摩各市町村史及びHP

2013年7月2日火曜日

砂漠植林活動 - いきさつとその後の活動 -

砂漠植林活動 - いきさつとその後の活動 -
                                                                                                北多摩北地区保護司会
                                                                                          東村山分区  山中 勝美
    2004年度のノーベル平和賞は、アフリカ・ケニアのワンガリ・マークイ女史で、女史が提唱、中心となって推進した「アフリカの砂漠に緑の衣をかけよう!」30数年間の植林実績が認められた。私の記憶では、30~40年前、日本でもメディアに取り上げられ、砂漠植林‥・は夢となり火種として残っていました。
 10年前、定年を2年残し退職。1ヶ月後の3月末には、中国内蒙古自治区の主都「恩格貝(オンカクパイ)」の西200 k mの「呼和浩特(フフホト)」の砂漠の地に立ち、その後6ヶ月間(9月末迄)長期ボランティアで入りました。退職する一年前の8月、「日本砂漠緑化実践協会」の募集したツアーに参加し、植林作業の爽快さや植林の意義、退職後の自己実現に合致した活動と思っていました。砂漠地は、標高千mと高く、冬は零下2・30度ですが、春、秋はなく夏と冬のみです。夏場の気温は摂氏40度前後と暑いですが湿度が20%と少なく、日本の蒸し暑さは感じられません。
 植林の一連の作業は砂地に①直径40cm、深さ約1mの穴掘り。②ポプラの苗(3年経過、直径3cm、枝・葉を取り、長さ2.5m)を挿入。③砂の埋め戻し(8割程)。④水鉢作り(苗の周囲に土手を作る)。⑤水鉢内にタップリ水を張る。⑥水鉢内の水分が蒸発しない様に乾いた砂をかける。  ①~④を行ったあと⑤、⑥をまとめて行う。
 長期ボランティアは④~⑥を年間1万本×3年間‥・苗木管理として世話をします。また、作業の中には植林した本の横枝剪定や、蘭(ヒコバエ‥・植えた根から出た枝)を切る作業も行います。私は「東村山市日中友好協会」に砂漠植林を働きかけ、2004年(平成16年)~現在に到り、毎年「東村山緑の協力隊」を編制(隊は10余名)し行っており、平成25年度でちょうど第10次隊となり、延べ人数90余名、植林本数5,000本、小さな森となっています。
 関心のある方へ、砂漠植林の講演やご相談をお受けいたします。又、東村山緑の協力隊と一緒にご参加願います。
ご連絡は、左記メールフォームからどうぞ。

2013年6月14日金曜日




                   願いをこめて、絵本を出版
                                   調布・狛江地区  浜中佳朗
2年ほど前に「発達障害を理解するための絵本」を出版しました。
 発達障害といってもその症状は様々です。それだけに、一般の人には理解が難しいようです。自分自身が病気であるのに、それだとは気が付かずに苦しんでいる人も多いのです 風邪のように、熱が出れば皆心配してくれますが、発達障害の症状は「わがまま・自分勝手・暴力的」としか映らない場合も少なくありません。そんな彼らを少しでも理解し、彼らの感じている世界を感じてもらいたいと思い制作しました。
http://asukabc.com/ehon.pdf
 この本には文字は一つもありません。世界中にこうした病気で苦しんでいる人がたくさんいます。著作権料の全てを寄付します。病気であるという事を認識して、彼らを含めて世界中の人々が、互いを認め合い、心豊かに生きられる社会となることを願っています


2013年5月5日日曜日



男の趣味―手打ち蕎麦に魅せられて

町田地区南分区長  松沢 明治
 
手打ち蕎麦を始めたのは今から16年前、ひょんなことからある有名な蕎麦屋さんの若女将から5㎏程のそば粉をいただいたことがきっかけでした。

最初は何の知識も技能もないまま、こんなものだろうと打ってはみたものの、茹で上がったものは香りはすれども形にならず、スプーンで掬わねばならぬような惨めな代物でした。

そんな時NHK教育テレビの「男の趣味ゆうゆう」という番組があり、ある会社社長が蕎麦打ちに凝り段々と腕を上げ、個人的趣味からやがて社員たちに振る舞うまでになったという内容でした。一カ月に亘るシリーズで、手順を記すと、粉合わせ~フルイかけ~水まわし~こね~くくり~へそだし~のし~つのだし~たたみ~切る~茹でる~食べるとなります。

この行程のすべてを食い入るように見て、早速本屋さんに跳んで行きテキストを購入。テキストを読みテレビを見ては実践―を繰り返しました。

腕を上げるに従い、蕎麦打ち専用の小屋を建て、木鉢、麺棒、まな板、包丁こま板、ふるい、蕎麦ちょこ等をカッパ橋道具街まで出かけて買い揃えました。

そば粉も情報を集めては北海道から九州までいろいろなものを取り寄せ、毎週2~3回のペースで打っていました。
 
大晦日には前々日から準備に取り掛かり、80100人分を朝7時から打ち始め、順次家族が配達したり、取りに来ていただいたりして午後5時くらいまで立ちっぱなしでやっていたものです。

特筆すべきは、2005年チェコの首都プラハ市から市議会議長はじめ要人20数名が愛知万博の帰路町田市に立ち寄ったおり、市からの要請で手打ち蕎麦でおもてなしをしたことです。これはさらに発展し翌年9月には返礼として、総勢25~6名からなるチェコ友好訪問団(町田フィルハーモニー楽団、茶道、蕎麦打ち)が編成され、仲間二人と参加し、79日で友好親善を深めることになりました。

手打ち蕎麦の格言として<のし切り3年 茹で10年 練りは一生>とありますが、練りの出来不出来により蕎麦の旨味が左右されます。

最近は多少の体力的衰えと地元へのボランティア等で以前ほど打っておりませんが、保護司仲間とは時々蕎麦パーティーと称して酒を酌み交わし楽しんでいます。水のある所ならば、どこにでも蕎麦打ちの出張サービスいたしますよ(笑)

2013年4月5日金曜日

       

会長を2年経験した感想

府中地区保護司会会長 中込健二郎

 東京新宿から京王線電車に乗ると20分で府中駅に着きます。人口25万人の市で、保護司会は独立して18年になり、会員数は現在58人です。前任の会長と副会長がそろって退任した後で会長をお引き受けしたために、当初は会務の運営に戸惑いを感じましたが、会員のご協力、保護観察所、市役所、警察署などの関係機関のご指導・ご援助をいただき、特に教育関係者及び福祉関係者との円滑な連携によって、おおむねその任務を全うできたのではないかと皆さまに感謝しています。

 この二年の間に3人の先輩が退任しましたが、保護司候補者推薦委員会も定期的に開催され、13人の新任保護司を迎えることができました。全国平均から見ると、平均年齢はやや若く、女性比がやや高くなっています。商工業の事業者、教育者、公務員、主婦など経歴は様ざまですが、PTA役員、補導員、児童委員、民生委員など関係領域の経験者がほとんどです。対象者の抱える問題はさまざまであり、対応する保護司には多彩な人材が求められ、その持ち味を生かした処遇ができる体制作りが一つの課題かもしれません。

 昨年から市役所の中に準備された面接室(現在は休庁日に限定)は、問題別指導やグループ指導あるいは保護司の連絡調整や研鎖の場として将来の発展の礎石になるものと期待しています。

 昨年の「社会を明るくする運動」では街頭活動に大勢の中学生が参加し、また推進大会には三つの中学のコーラス部がアトラクションを引き受けてくれました。若者を運動の対象者ではなくて共同の参加者とする意義は大きいと感じました。

 また、昨年の研修会では、福島市にある更生保護自立支援センターを訪ねましたが、身寄りのない刑余者を引き受けることに対する近隣住民の強い拒否についても、保護司として、市民としてそして人として深く考えさせられました。

 社会を明るくしようという更生保護活動の前進と府中保護司会が会員の研鎌と相互協力によって市民からー層頼りがいのある会となることを願っています。これからも変らぬご支援ご協力をお願いいたします。ありがとうございました。

2013年2月6日水曜日


ガーデニングに夢中

八王子地区保護司会  加藤 克明
 
 私の趣味は、主にガーデニングです。そもそもきっかけは農家に生まれたことで、小さいころから土いじりが好きでした。
 今では色々な野菜を作って楽しんでいますが、いつも思うことは自分で納得できる野菜がなかなかできないことです。同じ野菜を毎年作るのですが、同じようにできることは無く(その年の天候状態にもよりますが)、いつもチャレンジ精神を忘れずに作り続けています。
 今年の冬のように野菜が高値のとき、我が家の家庭では助かっています。道を通る方から、「野菜を売っていただけないんですか」と声をかけられることも時々あります。
 野菜作りの他に、草花の栽培をしています。8月下旬にパンジーやビオラの種をまき、2度の植え替え(ビニールポット)をして、鉢植えにしたり庭に植えたりしています。春にはチューリップや水仙等の花が次々と咲き、道を通る人が楽しんでくれています。私が花の世話をしていると「いつも綺麗にしているね」「花がない時は無いね」「此処を通るのが楽しみだよ」「種から育てたの?どうやって育てたらいいの?」等話しかけてくれ、話は尽きません。
 とは言っても、8月下旬の種まきは失敗も多く、予定していた本数の苗ができないこともあるので、心配しながら世話をしています。
 種まきから2・3ヵ月がたち、花が咲くと(種類によって咲く時期が違いますが)、来年はどの花に挑戦しようか、とカタログを見ながら次のことを考えている私です。野菜や草花作りも、いつも挑戦者として、これからも人生を楽しんで行きたいと思います。