2016年1月6日水曜日




私の歩んできた道
                                                                              
                                                                                   北多摩東地区保護司会 飯村雅洋

 
趣味はと尋ねられると、車、グルメ、ボディーメイク、ファッション、映画、音楽、散策と列挙する。しかしこのすべてを語るときりがなく、それではと考え、自身の歩んできた道と生き方について述べることにします。

それは保護司を務めようとしたことにも大きな関わりがあります。心理学を学んだこともひとつの要因ですが、米国の大手商社にエンジニアとして勤務していた20代当時、某日本メーカの台湾工場へ製造委託するに当たり、その技術力や品質確認のために視察に訪れたことに始まります。

昭和48年初めて訪れる台湾、現地駐在員に台北駅に送っていただき、汽車で3時間を費やし台中に向かう、無事仕事を終え台北へ戻る車中で思わぬアクシデントに遭遇しました。 

あと23駅で台北に到着する時に突然汽車が停まってしまいました。既に1時間以上経過、車内放送は中国語、何が何だか分からず途方に暮れる、困った、駅には駐在員が迎えに来ており、明日は帰国日、どうしよう、そうだ、たしか台湾の年配の方は日本語が多少分かるのではと、隣の方に日本語で話しかけてみました。

日本語が分かりました。ひとまず安堵、説明を受ける、台風のため前の汽車が脱線し何時復旧するか分からないとのこと、私の困っている状況を話すと、なんと一緒に線路に降りて、タクシーで台北駅まで送ってくれました。 

見ず知らずの私に、何のためらいもなく親切にしていただけた、この人、このこと、この時、が私の人生のターニングポイントになりました。これが真の人としての道ではないのか。それからはこの時の体験を忘れず、人との関わりを大切に、微力ではあるが生涯人の役に立ちたい、この思いで我が道を歩むこととしました。

余談ですがこのときから台湾、台湾人が好きになり、第二の故郷と位置付け、昭和49年から一年間台湾に駐在、多くの人脈を作り、中国語(マンダリン)を学び、退職後も台湾とのビジネスを続け現在も台湾で会社を営んでおります。

また、ひとりでも多くの人と知り合い、様々な考えや知識を学ぶことも大切にしています。人見知りをせずに、誰にでも平気で声をかける、今日も新たにひとりの知人ができた、楽しいですよ。ですので、私は人種、ジェンダー、学歴、職業、年齢で人間を判断しません、大切なのは、その人のアイデンティティーとパーソナリティーだと考えています。

海外では自己主張しなければ仕事にならないことの影響かもしれません。しかし自己主張するには、自己認識、そして自己責任がついてきます。簡単ではありませんね。

 むすびに、思いに任せ、まとまりのない文脈でしたが、現在、「ノブレス・オブリージュ、コーポレート・ソーシャル・レスポンシビリティ」を 旨とし、様々な奉仕活動を続けております。



 


 
講演「子供たちに寄り添う」を聴いて

北多摩東地区保護司会長 須 﨑 英 夫

 
国分寺武蔵ロータリークラブ主催の講演会に、保護司が招待されたので参加してきました。

 テーマは、「子どもたちに寄り添う」~いじめ・虐待・非行の現場から~で、大変に素晴らしいお話しでした。講師は、弁護士で「社会福祉法人カリヨン子どもセンター」理事長 坪井節子さんです。

 講演は、弁護士会の[子ども人権相談員]として接触した、いじめ・非行・虐待・不登校などで苦しむ子どもたちとのエピソードから、子どもたちから信用されない無力な大人たち(親・先生など身近な)の話しに展開し、こうした大人たちに反発して非行の深みにはまる子どもたちの実態が、非常に解りやすい表現で話されました。

 自分で選んだわけでもなく、置かれた環境の中、もがきながら生きていく術を必死に探す子どもたちに寄り添い、帰るところのない子どもたちのために、子どものシェルターの必要を痛感して、弁護士会として「カリヨン子どもセンター」を起ちあげ、多くの人達の協力を得て、各地に施設を拡大しているそうです。

 以上が、講演の全体の流れでした。大変お話が上手で、涙を拭く参加者も沢山いました。行動し、シェルターを造った坪井氏のお話は本当に胸に迫るものがあり、お話を聞いて、こうした子どもたちに目と目を合わせて「君が、君の命が大事なんだよ」と言える、弱者に寄り添う大人でありたいと心から思いました。

 質議応答の時間がなかったので、終了後に講師に声をかけ保護司であることを名乗り、「無力の大人の話はよく理解できた。地域でシェルターに変わる対策は何かできないか?」とお尋ねしたら、「難しいですね、出来るとしたら予防対策ではないでしょうか。」とのお答えでした。

 支援を求めない人、助けを求める術を知らない人の存在に胸を痛めます。わが国の福祉制度は、それを利用できる人にとってはそれなりですが、そこに至らない人はその支援が得られません。

 このような、いうなれば「制度の隙間」に対し、保護司が何とか関与出来ないか、と考えています。いわゆる「待ちの姿勢」だけでは、本質的な解決は無いのではないでしょうか。

難しい課題ですが、皆さんでよく考えてみませんか?