2018年10月3日水曜日

独りということは・・・



                  北多摩北地区保護司会 東村山分区 小松 健二

 
 定年退職後にボランティア活動の一つとして与えられたのが保護司であった。あっと言う間に十数年が経ち、最近は体力の衰えを感じることが多くなってきた。こんな時こそ、やり残したことが頭のどこからか浮かび上がってくるもので、残された体力をふりしぼって断捨離ならぬ終活を始めることとした。

 真っ先にやりたかったのが登山、いや登山は手段で目指すは高山でなければ見られない石南花(シャクナゲ)の花を観ることである。学生時代にしばしば登った八ヶ岳の編笠山(標高2524m)、その山腹に可憐に咲きいつも心を癒してくれた忘れられない花に、もう一度会いたかったのである。最初は独りで行くつもりだったが、しかし会いたい気持ちはやまやまでも長い間、高い山には登っていなかったので次第に不安が募る。そこで山好きの友人を誘い二人で登ることとなった。当日は晴天に恵まれ、麓をスタートしたときの足取りは軽く二人で歩調を合わせながらの山登りは順調であった。休憩を挟みながら2時間ほど進むと辺りはすっかり高山らしくなり、その頃から足取りは重くなり一歩一歩踏み締めるような歩調に変わっていた。更に歩を進めて、この辺りかなと休憩をしながら周りを見渡したとき木々の間に石南花を発見。遂に昔と変わらぬ期待通りの憧れの花と再会することができたのである。しかし話はここで終わらない。花に会えた後はすぐに下山するはずだったが急遽、編笠山の頂上まで逆に登ろうと言うことになったのである。登山でスケジュールを変更することは危険なこと、好ましくないこととは承知していた。にもかかわらず、敢行したのには理由があった。天候が良かった、何度も登っている山であった。それでもリスクはある筈なのに。敢行を決定づけた最大の理由は、独りではなく、ふたりであったこと。独りだったら不安だらけ、でも二人だったら安心感で勇気倍増ということになる。

 保護観察対象者も同じことを感じながら日々生活しているのではないだろうか。対象者に寄り添い、真に求められる処遇とは何なのか、を自問しなが更生保護に活かしたい。


2018年9月17日月曜日

巨樹を訪ねて


             町田地区保護司会鶴川分区 梅木信一

植物観察と巨樹・巨木 
    私は、花の咲く樹が好き…とくにツツジの仲間が大好きです。ツツジの園芸種は、多くの系統と何万という品種があるのですが、ツツジは江戸時代に大名庭園に植えられて、下級武士の内職で育てやすく美しい鉢物として栽培され、品種改良されつつ広まったといわれています。九州の高山にはミヤマキリシマが自生していて、5月から6月に見事な景観となります。
 私は大分県の玖珠町(くすまち)というところで生まれ育ちました。玖珠町は、九州の中央部を貫く九州山地を含んでおり、多くのメサ(阿蘇山の溶岩台地)が盆地を取り囲んでいます。この町では山といえば、このテーブルのように頭の平たい山をさすのですが、なかの一つの「切株山(きりかぶやま」)に、巨樹にまつわる古い民話(豊後国風土記)が残っています。

 小さい頃に繰り返し聞いた話によると、昔、この地域の村には大きなクスノキがそびえており、その陰になって村に日が当たらずに困っていたところ、大きな男がやって来てこのクスノキを切り倒し、その切り株が山になったというものです。この町の名前の由来(樟→玖珠)だということも聞きました。こじつけのようですが、今思えば、こんなところからも巨樹との繋がりを感じているところです。

  現在、全国巨樹・巨木林の会や東京巨樹の会に所属して、毎月の観察会や年数回の観察旅行に参加して、巨樹や植物観察を楽しんでいます。


感動した巨樹・巨木
    巨樹の定義としては、地上から130cmの位置で幹周が300cm以上の樹木としています。

クスノキ(クスノキ科)は暖地の多い常緑広葉樹で、長命で多くの巨樹があります。幹・根・葉は「樟脳」の原料となり、全体に独特の香があります。「東京巨樹の会」の観察会で訪れた熊本県熊本市北迫町の「寂心さんのクス」は壮大な樹形で枝張りの素晴らしい。この樹の由来となった「寂心さん」の歴史も興味深いと思います。
 
   鹿児島県屋久島町の「縄文杉」は有名なスギ(ヒノキ科)の巨樹で、今年の4月に念願が叶い、観察することができました。樹齢は幾つかの説がありますが、2700年が妥当なようです。往復約10時間の登山が必要となるが、一見の価値はあると思います。白谷雲水峡やヤクスギランドなどで、多くの巨樹に出会うことができます。

町田市にも多くの巨樹・巨木があり、観察して楽しんでいます。町田市図師町五反田谷戸の「畦桜」、推定樹齢200年のヤマザクラ(バラ科)です。谷戸の奥には溜池があり、棚田が大切に耕作されています。毎年観察に出かけますが、里山と谷戸に相応しいサクラだと実感しています。このような里山や谷戸が残っています。近くには小野路宿里山交流館があり、里山散策を楽しむことができます。

    今後も各地を見てまわりたいと考えています。大きな樹が存在するということは、先に生きた人たちが樹を大事にしてきた証です。春になって芽が出てくれば嬉しいだろうし、元気がなければ心配するでしょう。

巨樹・巨木や里山が、自然を学ぶ場になれば幸いだと思っています。


ミヤマキリシマ(ツツジ科)大分県玖珠郡玖珠町万年山(ハネヤマ)

切株山と稲穂 大分県玖珠郡玖珠町

  「寂心さんのクス」樹形 クスノキ(クスノキ科)樹齢800年 熊本県熊本市北迫町 

「寂心さんのクス」枝張り クスノキ(クスノキ科)樹齢800年 熊本県熊本市北迫町 

2018年7月18日水曜日

保護司の本来の活動について考えること、皆様はいかが?

八王子地区保護司会広報部長  山田 雅彦

 暑いですね!保護司会の皆様また本ホームページを開いてくださる方の体調はいかがですか。しかし、私達の健康よりも西日本の降雨被害また犠牲者のことを思うと辛くてなりません。きっと皆様も同じお気持ちとお察し申し上げます。私は、八王子市防災ボランティアリーダーの一員なので、被災地に集まるボランティアの方々の姿をテレビで見ていると、すぐにでも駆けつけてその活動のコーディネートを応援したくなります。
 さて、「保護司会」のことも書かなくてはなりません。私は、保護司拝命後5年が経ちます。対象ケースもやや複雑になってきました。同時に「保護司会活動」にも深く関わらなければならなくなりました。これまでは、保護司として対象者の更生と支援に尽くすことが第一と思ってきましたが、豈図らんや!保護司会の職務が俄然増えてきたわけです。これでは正直本末転倒ではと当初は疑念が頭を過ぎりましたが、この保護司会活動も法律に規定された職務であることも理解して、何とかアップアップしながら両方が成り立つように微力を振り絞っているところです。それでも、5年間を保護司会に籍を置きますと、保護司としての位置や基本的な活動について様々な意見・考え方の相違があることが心の中で顕著になってきました。それは以下のようです。
 多くのベテラン保護司にも、現在の保護司はさまざまに手を伸ばし、活動をし過ぎる。何から何まで引き受けて、現状は保護司の業務とあり方を逸脱している。本来の対象者の更生にこそ重点を置くべきだ、と主張なさる人があります。
 しかし、一方では日常の周囲の状況の把握から非行の未然防止を考えて、多くの課題に取り組んでいくべきだと主張される方々もおられます。八王子でも多くのネットワーク会議が横の連携を模索して行われていますが、あまりに課題が多くて関わり方もそれぞれであり、保護司が関わっている会議や方向が十分に機能しているとは思えません。(最近のネットワーク会議で、小学生の子どもに対する心理的DVが6年間もそのままであることを知り愕然としました!)
 さあ、この大きな課題にどこからどこまで私が個人として関わっていけるか、保護司としての私の基本的な姿勢が残り5年間で試されそうです。只今、私のライフワークはあの良寛のように子どもとあそぶこと、です。子どもは「未来の宝物」です。上記の追報告と子ども達との楽しい交流は、次回の「つれづれ」でご報告申し上げます。どなたも、しばらくはこの危険な猛暑にお気をつけご自愛下さい。

2018年3月30日金曜日

温もりの距離


北多摩北地区保護司  小平分区 前田保正

 保護観察ということで初めての面接に訪れるまだ若い対象者の心中を慮ってみることから彼との巡り合いがはじまります。楽しく嬉しい気持ちで訪れることはないでしょうね。脛に疵を持つ身の心境は思いも掛けない追及を受けるのではないかと心身開放されないものを引き摺って、まだ何の接触もないうちから早く終わりたい雰囲気を窺わせています。

 ちょっと以前に巡り合った対象者は、毎回の面接は私と密接な連係を取る彼の母親が同行する形式で始まりました。面接の初回から三、四か月の間、返答は俯いたまま言葉を発することなく視線も合わさない状態が続き私も困惑の極みでした。しかし対象者が自ら言葉を交わす気持ちになるのを待つことで進展させていましたし、私は君の人生の応援者であるということを毎回様々に語り伝えていました。
   ある時、面接の部屋に我が家に長年飼われている猫が現れ、彼に擦り寄り膝に乗ったところ、彼は笑顔こそありませんでしたが急にちょっと照れ臭そうな表情を見せ、猫の背を撫でながら猫の話題をきっかけに話が進展しました。
  その後の来訪は一人で行うものの遅刻もなく、以前の黙して語らずの姿勢は徐々に和らいでいきました。
  とある面接予定日、待てど暮せど彼は現れません。夕刻、私が自宅庭の樹々に水遣りをしていたところ、背中にトントンと合図、振り向くとそこにワイシャツ姿で汗びっしょりの彼がおりました。今までになかった眼の輝き、落ち着いた声で今朝からの出来事を自ら語り始めました。
  その後の面接は、来訪するとまず猫を撫でながら日常の会話から始まり、好きな食べ物、趣味のこと、家庭のこと、さらには人生や命のことなど一時間の約束時間はあっという間に過ぎるものでした。
  保護観察は解除に至り、解除通知は笑顔と握手で渡しました。その後の彼の消息を知ることは出来ませんが、彼の自宅近所を通る時、人生の無事を祈るのみです。

 保護司と対象者との出合いは人と人との温もりの距離の巡り合いとして互いに感謝の出来得るものがあってしかるべきと考えたいものです。

2017年9月25日月曜日

国宝仏の誕生に想う

                                                調布狛江地区 林田堯瞬

 去る3月10日、調布狛江地区のシンボルともいえる古刹深大寺に所蔵される「銅造釈迦如来倚像(通称:白鳳仏)」が、国宝に指定されました。


 7世紀後半の飛鳥時代後期(美術史上の区分では白鳳時代)の制作であると推定され、少年を思わせる明るい表情と、衣が流れるように美しく表現されたその作風から、法隆寺の国宝夢違観音や、盗難で現在行方の知れない新薬師寺の重要文化財香薬師と同じ工房で鋳造された可能性が高く、この三仏は白鳳時代を代表する名品とされ「白鳳三仏」と称されております。  東京都内には2,868の寺院があり、寺院に伝来する仏像としては、初めての国宝仏の誕生となりました(寺院以外では港区大倉集古館所蔵の木造普賢菩薩騎象像が国宝指定)。また、関東においても、寺院伝来の国宝仏は鎌倉の大仏様に次いで2例目の指定となり、制作年代でいえば東日本最古の国宝仏となります。
この慶事に、市を挙げて慶祝ムードに包まれ、駅前や商店街にはお祝いのフラッグが掲げられております。

 
   深大寺の白鳳仏の最大の特徴は、椅子に腰を掛けた「倚座(いざ)」の大変珍しいお姿であり、お釈迦様が説法をしている姿ともいわれております。
 お釈迦様の法門(教え)は8万4千ともいわれ、その人個々の器に応じた数だけの教えがあります。仏と人間の違いは、よく水と氷に喩えられ、器の形に応じて変幻自在に姿を変え、隙間なく水を満たすのが仏。自我という氷に固まり、自分という器にしか収まることが出来ないのが人間。仏は、その人の器の形に応じ教えを説いてくださる。しかし水と氷の成分は何ひとつ変わりありません。
 “仏も昔は凡夫なり、われらも終には仏なり。いずれも仏性具せる身を隔つるのみこそ悲しけれ” 平家物語
保護司の活動にも相通じるところがあります。その人の個性に応じ水のように接し、氷を解かすが如く温かな心で寄り添う。そんな人でありたい。
 
 
 

 
 

2017年8月7日月曜日

対象者から学ばせていただく保護司活動

                                                               北多摩北地区保護司会 西東京分区 永澤清子 

 生活の一部となっている保護観察の仕事は毎回初めての出会いから始まります。担当者も対象者も初めての出会いに、ドキドキしながら何も分からない手探り状態の中で、この先どのような面接をしていけば更生の道を見つけられるのかと考えて話を進めていきます。

これまで長い保護観察になりますと私の場合は、4年以上も毎月2回の面接を行いました。最初はお互いにぎこちない会話から入り、その人の犯した事について、何故そのようになったのか、そして刑が決まり、更生の道を進み、反省を促し、今後どうしたら今までと違う道を歩けるのか等、未来について充分本人が納得できるまで話すことができるのですが、時間が経つにつれ、犯罪の話ばかりしていても仕方がないので、いろいろ世間話もするようになり、家族の事、テレビ、新聞等の話題にもなります。

そのような会話の中から、対象者の出生や育ってきた生活環境、習慣、周りの人達との出会いによって人格が作られていくのだということを実感させられました。対象者一人ひとりそれぞれに多種多様な事情があり、二つと同じ状況というのはありませんでした。対象者との関わりはどんな時にも学ぶことがあり、その中から得るものも多く、保護司として何一つ無駄はなかったと感じています。このように今でも慣れるということはありませんが、おかげさまで毎回様々なケースに接する中で成長させて頂いております。

担当した少年が「勉強は大嫌い、働くのも嫌」なんて言うので「人間は病気の人以外は働くか、勉強するために学校へ行くかどちらかを選ぶのよ」と私が言うと「えーなんで」と言いながら「選ばなきゃあいけないの」と言い最後には「じゃあ学校へ行く」と言いました。何でこんな正直で可愛くてピュアな子が罪を犯したのかと不思議に感じるような子どもでした。あんなに勉強が嫌いだったその子も大学生になりました。

人間は何かのきっかけで生き方が変わることもあるのです。この現実を目の当たりにすると「ああ、保護司もいいのかなあ」とひと時思い、そしてまた悩む日々が始まります。

2017年7月5日水曜日

祭り~大きな更生事業

                      府中地区 小澤 量

 府中には、五月三日~六日に行われる通称「くらやみ祭り」があります。起源を国府時代に持ち歴史的にも深く、参加者も府中のみならず、三多摩一円さらには23区西部・埼玉・神奈川にまで拡がる日本でも有数の祭りだと氏子衆は自負するものです。


 くらやみ祭り  (府中観光協会HPより)
 かつては、荒々しい祭りでしたが、今では女性も参加できる祭りになっており、旧住民のみならず、新住民も参加できる体制を志向する町内も増えております。

 さて、くらやみ祭りのような規模のお祭りでは、祭りのための時間的金銭的負担も大きく、場合によってはケガもします。それでもなぜ、祭りに参加するのか?結局は、人との関わりではないでしょうか?

 くらやみ祭り(神輿)前列左端が筆者
 私の町内でも、マンションの方を誘い、その後、その方たちが町会役員、老人会役員になっていただくケースが多くなっています。一度でも府中のような密度の濃いお祭りに参加すると、理屈損得を超えた一体感を持てるようになるからだと思います。

 さて、保護司的観点から祭りを見ると、青少年と町との関わりに気が付きます。特に、やんちゃが過ぎ、将来に不安を感じる子ほど、昔は祭りに出ました。その後、道を踏み外す人もいました。しかし、それでも祭りには帰ってくるのです。

 祭りに出れば、顔も素性も知られます。先輩や両親・祖父母の代の方との付き合いもあります。そうやって、町の中での自分の立ち位置や役割ができます。外部の視線も気になります。一人ではなく、様々な関係の中で生かされている、このように感じることもできます。

 「府中の祭りは大きな更生事業」と説明してくれた元高校教師もいました。そのような祭りを先人たちが守り続けてきてくれたことに感謝しないではいられません。