2015年8月9日日曜日


子どもの貧困対策


                                    調布・狛江地区保護司 酒井淳 


 先日、分区の自主研修で調布市子供生活部山本雅章部長に子供の貧困について講義をいただいた。報道では、かつて一億総中流といわれた日本社会の中で格差が広がっているという現状を「格差社会」という言葉を用いている。この研修を通し現実の深刻さと、その現状を受けた行政の施策について、認識を深めることができた。
 
 日本の貧困率はOECD諸国の中でメキシコ、トルコ、アメリカに次ぎ4番目に高く、また現役世代の貧困率16.3であるのに対し、一人親世帯の貧困率はさらに高く56.5にもなるという。この調査を受け政府は「子どもの貧困対策」を策定して貧困の連鎖を防ごうとしている。
 
 日本の母子家庭の就労率はアメリカ・イギリス・ドイツに比べ高いが、その内実は低賃金長時間労働のため、育児の時間にかける時間は二人親と比べ少なく、当然子どもの生活にも影響を与えている。また収入と学力や自己肯定感にも相関関係が認められるという。
 
 たとえば子どもが学校の友達とテーマパークに遊びに行くという話がでても、一日でも多くの費用がかかるため行くことができない。そのように経済的状況の中で阻害されがちな児童に、調布市では青少年ステーション、児童館、NPOなどと連携をとりながら、居場所づくり、成功体験、繋がりをどう創るかという課題に取り組んできた。
 
 さらに政府の施策を受け、学習支援の場を市が設置する準備をしているとのこと。その学習支援は単なる無料学習塾に止まることなく、親の相談も含めて幅広く総合的な支援の場をとしていきたいという。
 
 先行して学習支援を行っている相模原市では、学生のボランティアが大勢入り、学生が子どもと接して行く中でたじろいだり、試行錯誤しながら共に学びあっている。ボランティアの学生たちも確実に誰かのために働くことの歓びをもらっているという。
 
 新たな市の取り組みが社会的資源として機能することを期待するとともに、保護司として、また近所のおじさんとして、現状に向き合っていきたいと思う。

2015年6月11日木曜日


                  「ナイロビ通信」を見て

                   北多摩北保護司会東久留米分区   鈴木敬子

 アフリカと神戸俊平友の会発行の「ナイロビ通信15年春号」が届きました。
 神戸俊平さんは中学時代の同窓生で、日大農獣卒業後ナイロビに渡り、新たに免許を取得し獣医としての傍ら野生動物保護にも尽力するとともに、アフリカの今を発信しています。
 
昨今のアフリカ・サバンナでは乾期が長く続き、動物の工サになる草等がなく飢餓の状態が続いたが、昨年末頃から東アフリカでは少し雨が降り始め生活も安定してきました。餓死した反勿家畜の病理解剖をすると第四胃からビニール袋が細くなって大量に出てくるそうです。空腹の家畜や野生動物は草類を求めながら捨てられた包装用ビニール袋も食べてしまい、消化機能の障害からやせ細り、死亡してしまいます。ゴミ問題はどこでも深刻なようです。
 
  また、裸足で歩く子供たちが多く、スナダニが足のつま先、特に爪の間に寄生し病気になります。子供たちに靴を履かせるために、日本からも東日本大震災で水を被って売り物にならない靴がケニアに届けられました。しかし中古の靴や衣服も輸送費や関税がかけられます。今回は政府ジャイカの業務代行により無料で届けることができたそうです。 
 
  西アフリカ四カ国を中心に流行が始まつた工ボラ出血熱はその後、感染は減りました。アフリカでは葬式の習慣で体を洗浄して埋葬することから、感染者の遺体に直接触れることで工ボラに感染するようです。感染国には多額の医療対策サポー卜がされましたが、収束後これらの対策機能が継続されるか問題だとしています。

 テロについても、ケニア北部ガリッサという町でアルカイダ系アルシャバーブによるキリス卜教系大学生の大量殺害がありました。邦人の間でも不安が募り、現地大使館からの警戒メールは日々警戒度を上げているそうです。

 日本から遠く離れたアフリカからの通信。日本人が海外で活躍することはもはや当たり前のこととなっています。グローバル化することは必要なことだと思いますが、この地に踏みとどまって何かを見つけて活かすことも必要な事と考えます。自身の回りの中で何かを見つけて活かし続けられる事の大切さを伝えていければと考えています。

2015年4月7日火曜日


                       新年度に向けて        


                                                 調布・狛江 ASUKA
 
 保護司会の中では、若輩であり恐縮だが、この欄への(投稿)記事も、3回目となる。今回は、私の本来の仕事と、今年度話題になった2つの出来事を活動と重ねてみたい。

私は五十歳過ぎで、現役で働いている。大手予備校が7割超の校舎を閉鎖するのと、大手有名家具店のお家騒動のニュースが、私の会社の姿と重なって見えてくる。
 
私の会社は、先代の社長から現社長が引き継いだ時点で約20店舗あった。現在は2店舗と外商部のみとなっている。この経験から、大手予備校の校舎の閉鎖は多くの困難を伴ったであろうことは容易に想像できる。そして予備校も弊社も、会社の将来を考えた時、英断であったと信じたい。弊社も厳しい状況を乗り越え、創業50年何とか存続している。かつての本業部門の売り上げは大きく減少し、その他の部門の売り上げが圧倒的に増えた。弊社の後継者となるであろう3代目は、これまでの価値観とは異なり、さらに新たなビジネスモデルへ方向転換を目指している。有名家具店との違いは、弊社の2代目社長が革新的な女性であり、新しい経営ヴィジョン的なものに対する免疫ができていたため、3代目のさらなる革新的かつ自由さを受け入れる土壌ができていることか。
 
さて、保護司会の活動でも、根底にある、対象者への思いやりと愛情は決して変わることなくあり続ける。しかしながら、その表現方法は時代とともに姿を変えてくるのではないか。私の場合、対象者とのやりとりは、lineが主流となり、メールでさえ、ほぼ使わなくなり、彼らについては、部分的にfacebookやtwitterなどのSNSで生活状況や雰囲気を確認している始末である。また通話(生の声を聞くこと)は月に数えるほどで、時には、単語だけに近い状態でのネットでのやり取り、時には絵文字のみになっている。(仕事上)中学生や高校生のlineのグループにも入っているし、時には彼らのグループ内でのやりとりを見せてもらい、その危うさを将に身をもって感じている。こうした方法に対するご批判等は別の場所で頂くことにするが、対象者の状況把握には、双方にとって便利なツールであることに間違いない。
 
個人の生活(保護司活動)の中では、違った新しいものを取り込みながら、会社では新たなビジネスモデルを、自分勝手な3代目と否定するのは、自身の狡さや、自分勝手なご都合主義を感じ、居心地が悪い。若者については理解できない部分も多々あるが、次世代の感覚として大きく期待する。

今年度も終わりいよいよ花見のシーズン。こればかりは、ネット上で写真・動画やコメントを見ても全く味気ないが、将来は、画面から花びらが舞い散るようになるかもしれない。

 


 謎の迷路にはまる推理小説『シンデレラの罠』  


                                    ~犯人については暗示だけ!~ 

                                ~事件の真相解明は読者にお任せ?~

                                          府中地区保護司会   大沢 美保子

 保護観察所から送られてくる関係書類を読むなど保護司の仕事をしていると、実際に起こった事件や犯罪がリアルに浮かび上がってきて、多少とも気が重くなる時がある。そうした際、海外の小説を原書(英語・仏語)で読むことは、私にとって返って気分転換になるのだ。もちろん、辞書を引きながら時間もかかるし、最初の第
1章で苦戦することも多いのだが、微妙なニュアンスの違いなど楽しめるし、何より新しい世界が開ける感じが好きだ。
  ここ数年の間で一番印象に残っているのは、フランスミステリーの名作といわれる『シンデレラの罠』(セバスチアン・ジャプリゾ作)だ。本の裏表紙に書かれた謎めいたキャッチコピー「私はこの事件の探偵であり、証人であり、被害者であり、犯人なのです」に始まり、読者からは、読めば読むほど「誰が犯人かわからない」との感想が続く作品だ。娘からフランス語で読んでみればと勧められたのをきっかけにして、全く予備知識なしで原書に取りかかったのだが、まず目次を見て度胆を抜かれた。フランス語は、時制や人称による動詞の語形変化が複雑で難しいのだが、目次に載っている7つの章の見出しが全部、殺す(assassiner)という動詞の変化になっているのだ。
例えば:J’assassine(私は殺す)  J’ai assassiné(私は殺した)・・・




Piège pour Cendrillon
  「ミ」「ド」「ラ」の愛称で呼ばれる3人の娘と「ミ」の伯母(名付け親のミドラおばさん)が登場する。「ラ」は若くして亡くなり、「ミ」と「ド」を中心に話が展開する。だが、二人は火事にあい、一人は死に、もう一人は大やけどのため顔にひどく損傷を受け、全く別人のようになってしまう(50年も前の話なので、今のような科学的捜査はない)。記憶喪失のため、自分がだれなのか、「ミ」それとも「ド」なのか、そして、こうした事故は誰の陰謀なのか疑問や自問自答が続くうち、殺人事件が起こる。『シンデレラの罠』という日本語の訳本だと、シンデレラが仕掛けた罠なのか、シンデレラに対する罠なのかわからないが、フランス語でみると、シンデレラへの罠であり、この表題は重要な暗示を持つようだ。

<童話の「シンデレラ」との比較>
「ミ」は大変美しく、生みの母は亡くなっている。メルヘンの物語と比べると、伯母は継母の位置を占める。時計屋の仕事とか、時計の音なども出てくる。伯母は靴の製造で大金持ちになり、「ミ」も「ド」もその靴をもらってはいている。

いくつかのキーワードから推測すれば、「ミ」がシンデレラかもしれないが、「ド」はシンデレラになることを夢見ていたと思われる。色々なことが錯綜していて、フランス語で読んでも犯人を決めかねるのだが、私なりの推理では、皆からシンデレラと思われていた娘とシンデレラになりたかった娘二人への罠ではないかと思える。


 作者が犯人を暗示にとどめ、読者に事件の真相を自由に考えるよう仕向けるとは、いかにもフランス的だなと感心した。また、やけどをした手には、いつも白い手袋がはめられているのだが、昨年大ヒットした「アナと雪の女王」(原題:FROZEN)でも手袋はとても大切な意味を持っていた(女王エルサが手袋をはずすと、瞬く間に氷の世界になってしまう)。一人の人間の内には無数の自我が存在しているともいわれるが、4月下旬にディズニ―映画「シンデレラ」が公開される予定なので、この映画も参考に謎解きを深めたい。

 
 <ご参考> 「シンデレラの罠」セバスチアン・ジャプリゾ作 平岡 敦訳
                                                               創元推理文庫

       Piège pour Cendrillon  Sébastien Japrisot, folio policier
 


~秩父霊場三十四観音巡礼と私~         
                        八王子地区東分区 秋山重男

 平成26年甲午年・秩父札所総開帳。開創は文暦元年(1234年)甲午3月18日とされ、そこから12年毎の午年に総開帳が行われています。
 私は、12年前の総開帳にはご朱印帳を持って、今回は掛軸を持ってこの巡礼になりました。秩父三十四観音は、坂東三十三観音,西国三十三観音と共に日本百観音に数えられています。

  一番札所「四萬部寺」から三十四番札所結願「水潜寺」まで、札所順に参拝すると、約110キロメートルの距離です。街中から奥山まで自然豊かな風土の中に札所は点在しています。私も一番札所から札所順の参拝となりました。
 巡礼者は、老若男女を問わず、服装もそれぞれですが、心は皆一つであると感じています。巡礼の札所も前へ進むにつれ、秩父の山懐に入っていき、「熊注意!」の看板もあります。私もシカ、サル、テンにバッタリ逢いました。
 今回の巡礼を通して、出会った方々、出会った動植物、万物の精霊が私の心の中に素直に受け入れることが出来たと思っています。巡礼の方々は、それぞれの思いで発願し、秩父路へ来られたのでしょう。しかし、老いも若きも皆さんのお顔は平穏で、世の中もすべて平穏であって欲しいものとも思いました。
 本年は、2回目の坂東巡礼の旅に出立します。対象者の心も、皆平穏であるように祈りながら・・・  合掌




2015年1月30日金曜日


                       「希望を持てる幸せ」


                    北多摩北地区 西東京分区 郡楽道和
 
東日本大震災が発生当初より、私は宮城県や福島県へ幾度も足を運び、現地のお手伝いをしてきました。2014年10月、宮城県亘理郡山元町で今も復興活動に従事するNPO法人「未来へ向かってたすけ合い」の依頼を受けて、仲間数人と協力し、ナガワ仙台工場内応急仮設住宅(宮城県山元町)で、うどんの炊き出しをおこないました。少しでも、ふれあいの時間を持てればと考え、うどん200食を用意し、車3台で山元町に向かいました。

仮設住宅では、高齢者ばかりが残り、若い人は仕事を求めてこの地を離れる人が多く、訪れるボランティア団体も減り、炊き出しもされなくなり、部屋に引きこもる高齢者が多いとのことでした。確かに仮設住宅は空き家が目立ち、高齢者がばかりが黙々と食べる姿には、こちらが声をかけるのさえ躊躇されるほどでした。

私は、集会所まで来ることが出来ない人のために、うどんの配達を引き受けました。そんななか、とても元気な足の具合が悪い高齢の女性に出会いました。配達に行ったとき、なにやら忙しそうで、今日もこれから出かけるとの事です。彼女は、津波で家屋など全財産を流されたそうです。けれども、表情は生き生きとして、「私ね、今が一番幸せなの」と言うのです。私は、その言葉に驚き、「本当ですか?」と、思わず問いかけてしまいました。曰く「震災前は、家もあって、何の心配も不安もない生活だったよ。でも今が一番幸せなの」と、自信たっぷりの答えでした。震災後、多くの友人が出来、「今日は、こんな活動が市役所であるよ」と迎えに来てくれます。言われれば、すぐに出かけて行くそうです。彼女はボランティア活動をはじめ、さまざまな地域活動に積極的に参加しており、当NPO法人がやっている復興活動、桑茶の製造販売や、カラムシ織という織物製造、農業復興などにも参加しているそうです。

彼女が厳しい避難生活から、普通に生活できることのありがたさを感じているからこその言葉だと私は確信しました。そして生き生きと、明日に希望を持って、また地域の人を思って、復興活動に参加しているからこそ、自信を持って「今が幸せ」と言えたのだろうと思います。

彼女よりも恵まれた環境であろう私自身は、「今を幸せ」と思って過ごしているのだろうか、と自問自答しました。荒涼とした被災地を目にしながら、今は何もなくても「復興」という夢があることを感じました。さまざまな考えを巡らせる中、地域のための保護司活動、この活動には、「社会奉仕の精神」という志と「改善更生」という大きな夢がある事を再確認しました。

2014年11月1日土曜日


古代米の収穫

           町田地区保護司会  鶴川分区  石川 洋一郎

 

 それは平成21年のことでした。当時、町田地区保護司会は、サポートセンター受け入れ準備で会長はじめ理事役員は、多忙を極めておりました。その時の会長小川康夫氏は、熊本県菊池市にある更生施設農場、菊池ファームへ役員を派遣され見学されました。その折、農場で採れた古代米3種(赤米、黒米、みどり米)をお土産にいただいてきました。私もその古代米を盃一杯ほど分けていただき、ゆずり受けました。

 翌年、ためしに播いてみると、よく発芽して立派な苗に育ちました。水田の片すみに植え、大切に管理したところ、秋になると鮮やかな朱色、あわいみどり色の稲穂が顔を出し、水田の片すみを色どりました。以来、種モミを増やし、作付面積を広げて小さな水田の大半を古代米で色づかせてきました。

 3種類の古代米を説明します。まず、姿、形では、赤米の穂の出たてが一番です。ノ
ゲまで朱色でピンとはった姿は、格別です。

 次は黒米です。穂の出はじめから実が入り、穂がたれてくるまで、黒びかりしてくる様は、すこぶる重みがあります。みどり米は、あわい緑であまり目立ちません。味はみどり米が一番美味しい。次が黒米、赤米は収糧はとれるが、味はイマイチです。穂が出はじめてスズメどもが、よってたかって食べるのは、みどり米です。食べるには、モチにしたりおはぎにしたりすると美味しく食べられます。現在のモチと比べても遜色がありません。

 今年も、色づいた水田を眺め満足しております。11月に入ると稲刈り、そしてかけぼしをして収穫します。悩みは、種が混じり合うことです。種モミは、一粒一粒厳選して分けますが、やっかいです。

 種を播き、育て、実らせる作業は、気持ちが入っていないとできません。私ども保護司の活動ともあい通じるものがあります。

 縄文人が、朱に染まった水田のまわりで豊作の舞を舞う姿と、結構うまいモチを食べていたのだと、遠い昔の平和な村落を想い、これから収穫の作業に入ります。

                 赤米(少し)と黒米

                          黒米とみどり米

                 みどり米と黒米

2014年10月1日水曜日


                      保護司仲間とお遍路に

 
               日野・多摩・稲城保護司会

          多摩分区 河内惠子


 若い頃から旅が好きでしたが、16年前四国遍路を初めてすっかりはまってしまいました。
交通手段や遍路道、宿あれこれ試行錯誤しながら何度も88札所を廻り、「歩き遍路」での
結願も果たしました。その後保護司になった10年ほど前に、同じ新米保護司仲間だったOさんから頼まれて1年かけて一緒にお四国を廻ったのがきっかけで、二人で『レッツ・エンジョイ・お遍路さん』という本を自費出版することになったのです。
私の手書きの旅程表(交通情報だけでなく食事や観光などお楽しみも満載!)とOさんの珍?道中日記風の紀行文をまとめたものですが、これがおもしろいと好評で「私もお遍路に行きたい」「連れてって」と保護司や更女のお仲間から声がかかり始めました。私自身はその頃既に四国詣では100回を超えており、札所でご朱印を押してもらう納経帖は真っ赤で隙間が無いほどでしたが、「行きたいという人があれば喜んで『隠れ先達』を勤めさせていただきます!」
お互い制約のある時間を調整し無理なくその人にできる遍路旅の計画をたて、区切り打ちや逆打ちなども組み合わせて何回もかけて結願まで一緒に楽しんでいます。

普通の観光旅行とは違って、遍路に出る人はそれぞれ重いものを胸の内にかかえているのかもしれませんが、そこは敢えて問わず語らず、道中は「できるだけ楽しむこと」をモットーに、地元の美味珍味を味わい観光見物もしながらお四国ならではのお接待体験もしています。時間・お金・健康どれが欠けてもできない88札所巡りを無事に終えて結願した時の喜びは誰にとっても格別で、一緒にそれを共有できた私もほんとうにうれしいです。

 遍路旅の途中で主任官から電話が入ったこともありますし保護司会の緊急用件で同行の仲間に携帯電話を回して相談したことなど、綱渡りのようなはらはらどきどきも終わってみれば笑い話です。今でも手帳に予定のない日があれば一人で四国へ飛んで行く私ですが「また遍路に行くの?なぜ?」と聞かれると、「何回行っても、自然と人との一期一会の出会いに同じことはない。いつも新しい発見や新鮮な出会いがある。」と答えるしかありません。
一緒にお四国遍路旅に出かけませんか?「隠れ先達」はいつでもご案内しますよ!



 
 
   

2014年7月13日日曜日


ファーレ立川のアート

                                                           北多摩西地区(立川分区) 中島 満喜子

JR立川駅北側に1994年にオープンしたファーレ立川という街には、ホテル・デパート・映画館・図書館・オフィスなどが入っている11棟のビルが建っています。そしてこれらのビルの外壁や植栽の中、歩道の端などには36カ国、92人の作家のパブリック・アートが109点設置されています。作品には作家名などが書かれたプレートはなく、自分で歩いて探してくださいというのもアート計画のコンセプトの一つです。そしてここの作品の一番の特長は、ベンチ・車止め・街灯などの役割を持っていることです。

この街のアートをボランティアでガイドしているのが『ファーレ倶楽部』というグループで、私もその一員です。6年前から立川市の小学校20校の5年生が授業として来るようになり、ファーレに近い学校は徒歩で、遠い学校は市が用意したバスで送迎します。
1クラスを4班に分け、各班にガイドが付き50分くらい歩きますが、安全確保のため保護者や先生がついてくださいます。後日感想文を送ってくる学校もあり、それを読むのも皆の楽しみです。感謝の言葉から始まり、驚きや新たな発見を素直に書いて伝えてくれます。

 ここで少し作品を紹介しましょう。

①ニキ・ド・サンファル(フランス)
高島屋とパレスホテルの間にある色鮮やかなベンチは、ニキ・ド・サンファルの作品です。二人でこのベンチに座ると、顔を見合わせて話ができます。『会話』と題されたこのベンチはFRPという強化プラスチッスで創られ、子ども達に人気のある作品です。
ニキさんは原色を使った柔らかな形で生命の力をうたいあげる作家です。



 

②ヴィト・アコンチ(アメリカ)
長さ3m、幅60cm、高さ120cmの半分の車は、ベンチで車止めです。
見ためは石かセメントに見えますが、材料はFRPです。そしてこの半分の車は歩道と一体になっています。歩道から湧きあがった車のようです。子ども達が来ると、運転席に誰が座るかが決まるまで時間がかかる時もあります。

 

③ゲオルギー・チャプカノフ(ブルガリア)
高島屋の駐車場入口近くに鉄の犬がいます。これがチャプカノフの作品です。彼は犬の他に羊と馬を作りました。材料は立川で使われていた農機具の残骸です。
残骸置き場に行き、残骸を見て何を作るか考えました。一番大変だったのは、危なくないように磨く作業だったそうです。羊の角は耕運機の刃です。でも磨いてあるので子ども達は楽しくまたがっています。



ファーレ立川には、1年に1日しか見られない厨子に入った神様の作品や、太陽が出ている夏至の日にしか見られない作品もあります。
 

 仲間と「楽しくなければボランティアじゃない」を合言葉に、楽しくガイドをしながら歩いて17年になりました。