2014年7月13日日曜日


ファーレ立川のアート

                                                           北多摩西地区(立川分区) 中島 満喜子

JR立川駅北側に1994年にオープンしたファーレ立川という街には、ホテル・デパート・映画館・図書館・オフィスなどが入っている11棟のビルが建っています。そしてこれらのビルの外壁や植栽の中、歩道の端などには36カ国、92人の作家のパブリック・アートが109点設置されています。作品には作家名などが書かれたプレートはなく、自分で歩いて探してくださいというのもアート計画のコンセプトの一つです。そしてここの作品の一番の特長は、ベンチ・車止め・街灯などの役割を持っていることです。

この街のアートをボランティアでガイドしているのが『ファーレ倶楽部』というグループで、私もその一員です。6年前から立川市の小学校20校の5年生が授業として来るようになり、ファーレに近い学校は徒歩で、遠い学校は市が用意したバスで送迎します。
1クラスを4班に分け、各班にガイドが付き50分くらい歩きますが、安全確保のため保護者や先生がついてくださいます。後日感想文を送ってくる学校もあり、それを読むのも皆の楽しみです。感謝の言葉から始まり、驚きや新たな発見を素直に書いて伝えてくれます。

 ここで少し作品を紹介しましょう。

①ニキ・ド・サンファル(フランス)
高島屋とパレスホテルの間にある色鮮やかなベンチは、ニキ・ド・サンファルの作品です。二人でこのベンチに座ると、顔を見合わせて話ができます。『会話』と題されたこのベンチはFRPという強化プラスチッスで創られ、子ども達に人気のある作品です。
ニキさんは原色を使った柔らかな形で生命の力をうたいあげる作家です。



 

②ヴィト・アコンチ(アメリカ)
長さ3m、幅60cm、高さ120cmの半分の車は、ベンチで車止めです。
見ためは石かセメントに見えますが、材料はFRPです。そしてこの半分の車は歩道と一体になっています。歩道から湧きあがった車のようです。子ども達が来ると、運転席に誰が座るかが決まるまで時間がかかる時もあります。

 

③ゲオルギー・チャプカノフ(ブルガリア)
高島屋の駐車場入口近くに鉄の犬がいます。これがチャプカノフの作品です。彼は犬の他に羊と馬を作りました。材料は立川で使われていた農機具の残骸です。
残骸置き場に行き、残骸を見て何を作るか考えました。一番大変だったのは、危なくないように磨く作業だったそうです。羊の角は耕運機の刃です。でも磨いてあるので子ども達は楽しくまたがっています。



ファーレ立川には、1年に1日しか見られない厨子に入った神様の作品や、太陽が出ている夏至の日にしか見られない作品もあります。
 

 仲間と「楽しくなければボランティアじゃない」を合言葉に、楽しくガイドをしながら歩いて17年になりました。

2014年5月11日日曜日

            五合庵探訪

                    北多摩北地区(東久留米分区) 原 健一

 

だいぶ前のことであるが、ある研修で先輩保護司の講話の中での言葉「犯罪は何時頃から存在していたか、人類発生の時代から存在した」と。研修内容はほとんど記憶に無いのですが、そうなのかどうかは別にして、この言葉だけは記憶に残って、しかも時々思いだすのです。
 何故にそうなのであろうか。

 そんな想いに誘われたのか、その後越後の国上山五合庵を訪ねる機会があった。若葉の頃です。五合庵は新緑の中に建つ六畳一間きりの木造茅葺の小さな庵で、往時のものは倍程度広かったといわれているが、静寂そのものでした。

 
 
 沙門良寛は玉島の円通寺で修行、諸国放浪後に越後に戻り、主に蒲原平野の里を托鉢し里人に法施しつつ、ここに後年十数年寄住し思索した。往時の状況は知る由も無いが「無欲一切足 有求万事窮」の清貧生活だったと伝えられており、また多くの歌、詩、墨書を今日に残している。
 では、良寛は何を伝えたかったのだろうか。 

 良寛の歌に「何ごとを営むとしもなけれども閑に暮らす日こそ少なき」があるが、その憂いとは何だったのだろうか。
 俗界の凡人には知り得るところではないが、一時間半ほど何思うことなく滞在、訪れたご夫婦に写真をお願いして五合庵を辞した。

 その日は麓の長寿苑に宿泊した。近年は昔ほど雪も多くないと宿の人は話していたが、往時の厳しい状況のなかで騰々任運の生き様に思いをめぐらすと「何故にそうなのであろうか」などと思うおのが不明を恥じるのみであった。




          経済格差と教育格差
     
    

                               

                                                                                調布・狛江地区  ASUKA


犯罪の原因の一つは経済格差にある。経済格差は教育格差とつながる部分もあり、教育扶助受給率と学力試験の平均点と相関関係がある。扶助受給率の高い市区の平均点は低いところと科目あたりで10点もの差がつく。


格差に苦しむ子供たちは、きちんと自分の気持ちを表現出来ないのだが、こうした経済格差を肌で感じながら、何となくイライラして育っていくように感じられる。この経済格差によるイライラ感は子供たちの努力によって解消されることはない。

私事で恐縮だが、学習塾を経営しており、高い料金を払えば子供にとって最良の学習環境を整えることができ、格差は広がるばかりだ。こうした状況に何とか立ち向かい、解決の糸口を探し、少しでも役に立てるよう、通常の月謝の半額以下のクラスをつくり、無料学習会を開き、ネットで授業を無料配信するなど活動を広げている。しかし残念なことに、来て欲しい子供たちは来ず、真面目にきちんと学習する子はさらに勉強する結果となっている。格差を埋めるための活動が格差を広げる活動になるようでいたたまれない。弱者が自らの力とサポートによって力強くそして明るく生きてゆける希望の持てる社会となることを願って、今後も私自身にできることを精一杯やっていきたい。

 

2014年4月14日月曜日


我慢・辛抱・おもいやり!

                   西多摩地区保護司会青梅分区
                                        保護司 前園 務

 平成16年に検察を定年退職、その後関東地方更生保護委員会の委員として3年、歳を重ねて昨年古希を迎える年齢になった。 町内会の老人会には還暦を迎えた時に加入したものの以後名目だけで、ゲートボール等はまだまだと思いつつ、無駄な抵抗をして拒否し続けている。

 委員会を去ったあと、自宅に地域の保護司会長と知り合いの女性保護司が来られ保護司就任手続きのための書類を置いて行かれた。 浅学非才の者ですが法務・検察に身を置いていた者としての責任を果たすべく、また地域の安全・安心な社会を願う者の一人としてお引き受けすることとなった。

 併せて、刑事司法の車の両輪である応報刑の役目のみに目が向き、社会の寛容によって社会で更生するチャンスを与える、いわゆる教育刑の役目を担っている更生保護に無関心であった余りにも無知の自分に反省させられた。

 委員会在職中に、少年院からの仮退院や刑務所から仮出所する者の家族の引受意思等を調査した保護司作成の書類(生活環境調整書)を見て~保護司の仕事は大変だ。 自分にはとても務まらない~ などと思っていたが、いつの間にか保護司6年目(現在保護観察対象者3名担当)を迎えることになった。

 核家族化や地域社会の人間関係の希薄化が一層進み、保護観察対象者を取り巻く生活基盤や支援体制はますます脆弱になりつつあり、対象者の自立には自身の自覚・努力とともに、以前にもまして家庭・交友関係・住居・就労・就学等様々な条件や環境の整備が必要だと思われる。 これまで、西多摩地域は比較的治安も良かったし、また重大事件も少なくなかったが、近年ここ西多摩も例外ではなくなって来ている。

 対象者との関わりで、世の中はむやみに敵対すれば牙をむくが、周囲への感謝は逆に大きな助けをくれる。 機会ある毎に「我慢・辛抱・思いやり」の大切さを説いてきたが、「約束を守らない。平気で嘘をつく」等のまた騙されたの連続で、よくよく考えると、この言葉は自分のことと感じるようになった。 とは言うものの、保護司は対象者の人生の一部に関わる仕事で、対象者と共に,自分も成長出来る究極の贅沢な仕事だと思う。 しかも人間の魂に触れる仕事で、また自分の生き様を検証出来る良い場でもあると思われる。

 昨今の新聞報道では、「高齢化が進み,保護司の担い手が不足している」などの報道がなされ、また法務省は,「このまま減り続ければ再犯防止の役割を果たせなくなる」などと危機感を強めているが、平成24年度の犯罪白書によれば、保護司として活動実績を重ねて行くにつれて、「社会の役に立っているという充実感」や「対象者の更生に役立っているという充実感がある」と答える保護司の割合は増えている。 これなどは対象者が保護司やその家族との触れ合いの中で心を開き、人間的にも成長していくことに喜びと生き甲斐を感じていることの現れではないかと思われるし、人間同士の見えない絆の実感・確認と言えるかも知れない。 できるだけ多くの人に、この保護司としての「冥利」を体験してもらいたいものだと思う。 また、保護司の職域は自治会や農業関係者・お寺の僧侶・会社経営者・福祉事業関係者・教育関係者等多岐にわたり、いわばその道の人生の達人である。 そのような仲間との交流は一般社会では味わえない領域であり、人間的な魅力・幅を築くのに最高の場でもある。

今は保護司になって、妻も「更生保護女性会」の会員となり協力してくれるなど、亀裂の入った夫婦関係も修復でき、今後は家庭に社会に知力・気力・体力の続く限りささやかな恩返しをし、楽しき農夫仲間と畑を耕し、併せて更生保護を耕し続けて行きたいとの思いである。

 

2014年1月5日日曜日

                            
                                 仏像と私

                                                                                          町田地区保護司  井上  勉

私が仏像と出会ったのは、20歳の頃です。祖父が大切にしていた椿の木を、お墓の整備の為切り倒してしまいました。祖父の気持ちを考え、その木を使って何か作ろうと思い、仏像彫刻の本を手にしてこつこつと彫り始めました。飽きることなくただこつこつと…。完成した時は、大きな満足感でした。その後、千手観音等を彫り、寺院や阿弥陀堂に寄贈してきました。

 絵画は、町田市油絵青年講座で習い始めました。当時「日展」等色々な展覧会を観ていまして、東京都美術館に出品したくて100号の大作に挑み、初入選した時は大変嬉しかったことを覚えています。その後、「光陽会」に所属し、会員として今に至っています。

 【主な作品】
 
昭和62 光陽会展「金剛力士像」出品 木曽山福昌寺奉納
昭和63 光陽会展「気・阿修羅」出品   奨励賞受賞
平成  4 光陽会展「守・阿修羅」出品 奨励賞受賞、寿量寺・安心殿奉納
平成18 光陽会展「凛・阿修羅」出品 鷲田賞受賞 小山田補陀山大泉寺奉納
平成21 彫刻「十一面千手観音」制作

他に、多数の作品があります。
  
気・阿修羅(昭和63) 

凛・阿修羅(平成18)





十一面千手観音(平成21)
 

十一面千手観音像(平成6)

2013年11月9日土曜日




懸命に生きよう
北多摩東地区保護司  志波直男
 
 
近年夏の暑さは格別です。東京でも気温が35°C前後に達する日が何日か続くことが珍しくなくなっています。
また一頃に比ベセミの鳴き声が少なくなったような気がします。暑さと関係があるのかな、と思ってインターネットで調ぺてみました。
 すると、セミは種類により朝鳴いたり、夕方鳴いたり、ニイニイゼミのように、終日鳴くセミもいるが、気温が35°C以上になると、活動が鈍りあまり鳴かなくなるそうです。夏の代表選手であるセミも猛暑には弱いようです。
 ところで、セミは一生の大半を地中で過ごし、地上に出てせわしなく鳴くのはほんの数日間といわれています。
 セミは前年のフ~8月頃に木の幹に産卵し、翌年の梅雨時に孵化します。そして地上の柔らかい土の上に落ちて、地中に潜り、6~7年にわたる長い地下生活が始まります。その間に脱皮を繰り返し成長していきます。
 その後、地上に出てきて木の枝や葉の裏などで羽化して成虫になり、7日間ほど精一杯の声を張り上げ、賑やかな夏を演出するのです。鳴くのは雄だけで、これは相手を求める求愛行動であるといわれています。
 地中の数年間がやがて羽ばたくための雌伏の時であり、地上での数日間が子孫を残すために与えられた期間ということになります。天敵にやられたり、雌に巡り会えないで子孫を残せなかったセミも数多くいると思います。
 従ってセミは、地中の期間を含めこの世に生を受けて7~8年のうちわずか数日間を文字通り懸命に生きるのです。
 翻って人間は長い人生の毎日を命がけで生きるのはしんどいですが、人生を振り返った時に、生きていて良かった、幸せだった、と言えるような充実した一生を送りたいものです。
 不幸にして道を誤ってしまった人も、そこで人生をあきらめてしまうのはもったいない、なんとか再起を期して残りの人生を懸命に生きる努力をしてほしいと思います。もちろん、わたしたち更生保護に携わる者のみならず、社会全体で彼らをパックアップしていかなければなりません。
 
 
てまりとともに

日野・多摩・稲城地区  寺沼恭子
 

 てまりに出会ったのは長女が桐朋女子中学校に入学した年でした。もうかれこれ30年前になります。本屋で何気なく手にしたてまりの本に心引かれた数日後、父母会の帰りに偶然学校近くの銀行に、てまりが飾られているのを見つけて釘付けになりました。「てまりなさってみませんか?」と
声をかけられ、その場ですぐ「お願いします。」と答えました。
あれから四半世紀以上の時が過ぎ去り、手ほどきしてくださった先生や先輩達の多くが旅立たれてしまいました。それぞれの時代に作ったてまりを手に取ると、友との思い出がよみがえりいつでもその頃の自分に戻ることができます。
 昼夜逆転した少年の来訪を、深夜までてまりをかがりながら待ち続けたことが幾度となくあったことも今懐かしく思い出されます。
 
15年ほど前から、日本の伝統文化てまりを海外に紹介する活動に参加しています。海外の在日本国大使館や領事館で「日本のてまり展&講習」を行ったのは、ロンドン・パリ・クロアチア・北京・広州・べトナム・韓国・台湾・タイ・ウズベキスタン等など、どこでも日本語を勉強している大学生の多いことに驚きます。日本語学科の学生達が通訳を引き受けてくれますので、言葉が話せなくても不便を感じたことはありません。普通の旅行では体験できないような現地の方々との心に残る交流が毎回あります。
 
今年10月には「第10回てまり展示会&全国てまりコンテスト」が憲政記念館で開催され、私の創作てまりが思い掛けず外務大臣賞を戴くことになりました。
 永い年月、てまりかがりは生活の一部になっており一日の終わりに針を持つと心が安らぎ落ち着きます。
これからもてまりのように丸い心で対象者と向き合い、海外活動にも参加できるよう健康管理をしたいと思っています。
 
(写真:クロアチア科学芸術アカデミー彫刻美術館での展示)


2013年10月3日木曜日

                           「あじさい寮」を訪ねて七句

 
                                                                            北多摩西地区保護司 有吉たまき


  神奈川医療少年院(あじさい寮)の視察に参加しました。知的障がいや広汎性発達障害等を抱える少年が入所しています。院長や教官の優しいまなざしに満ちたこの場所で、治療と矯正に励む少年達に接して…。

          手作りの花瓶へ紫陽花活けて待つ
          母想う子想う母や梅雨晴間
          葉桜の風少年へ等し生(あ)れ
          少年を見守る並木濃き青葉
          回り道穂先は天へねぢり花
          掛け声の響(とよ)む青芝「光りの道」
          院生へ黄明かりそそぐ凌霄花(のうぜんか) 





    マジックとの出合い
        北多摩西地区保護司会昭島分区
         根 岸 智 子

私とマジックとの出合いは、「マジックを教えている」先生が近くにお住まいでいらっしゃることを知り、興味をそそられて、そのクラブ(昭島マジッククラブ)に入会したことです。入会当初は、結ばれていた筈のシルク(ハンカチ)がアッという間に解けたり、ロープの中からシルクが飛び出したり、また、切れた筈のロープが一本に繋がったり、カードがアッという間に消えてしまったりと、ただただ〝不思議〟と〝驚き〟の連続でした。これらのマジックは初歩的に思えますが、実は、演じ方によって見る人をアッと驚かせる素晴らしい演技となるのです。
 
 私たちのクラブは、メンバー10人(先生と男性6人女性3人)で、とても家族的なグループです。月3回の練習日は、和やかな中にもお互いに切磋琢磨し、技術の向上に励んでいます。

活動としては、昭島市の「いきいき健康フェスティバル」や「青少年フェスティバル」に参加したり、市内の幼稚園や小学校も訪問しています。また、介護施設には年に数回訪問し、利用者を和ませ激励しています。特に、「青少年フェスティバル」では、午前、午後の二回公演をしており、それぞれ、前半は私たちの演技を行ない、後半は子供たちに教えています。毎年楽しみに来てくれる、顔なじみの子どもたちもいて、私たちも励まされています。こうして、各方面の依頼を受けてボランティア活動をしていますが、それぞれの依頼先に合った出し物を用意するため、会員同志が十分話し合ってから出向くようにしています。

このように、仲間づくりとともに、地域の方々とのふれあいを通じて、日々マジックを楽しんでいます。少年院等施設の慰問のお役にたてる機会があれば嬉しく思います。 
 

 

2013年9月10日火曜日

           国史跡 武蔵府中熊野神社古墳


府中地区保護司会 広報部会 


 この古墳は、平成15年に西府町2丁目に所在する熊野神社境内の発掘調査で確認され、平成17年に国史跡として指定されました。
  全国に30万基あるとされる古墳のうち、上円下方墳(盛り土の上が円形で下が方形となる)は、この古墳を含めて、わずか3基しかありません。しかも、この古墳のように墳丘・石室の全貌がわかる例は大変珍しく、発掘調査でみつかった7曜文が象嵌(7つの円文からなる模様を刻み、銀線を埋め込んで表現)された直刀の鞘金物は、全国的にも類例のないものです。
  古墳の形や発掘された遺物から、古墳が造られた年代は7世紀中頃と推定されますが、この古墳を造り葬られた人物は、武蔵国の国府が府中に置かれた謎を解く、いわば鍵を握る人物と言えるでしょう。つまり現在の国府の街「府中」のルーツとも言うことができる古墳なのです。
  熊野神社は、国道20号線(甲州街道)が鎌倉街道と交差する「本宿交番前」の交差点の北西角から、八王子方面に220メートルほどの場所にあります。北に伸びる参道の突きあたりに社殿があり、さらに奥に復元をされた古墳が姿を現し、そして国史跡武蔵府中熊野神社古墳展示館が完成しました。皆様是非足をお運び下さい。


 

 



                 苑生に見守られて~私の育児~

八王子地区保護司  倉島ひろみ(紫翠苑)
更生保護施設「紫翠苑」に勤務しながら、妊娠・出産・子育てというライフイベントを経験させていただいています。
  私自身は高齢出産ですが、若年出産をした苑生の少女からは「私のときはこうだったよ」とたくさんのアドバイスをもらいました。ノートいっぱいに子どもの名前を考えてくれた少女、大きくなったおなかをさすりながら「今日の就労面接がうまくいきますように」と拝んでいた少女、成人の苑生たちも気づかってくれました。
大きくなっていくおなかをみんなが楽しみにしてくれて、私にとっても苑生たちにとっても、あたたかな時間が流れていました。
  長男を出産し、行事や休日など機会をみて子連れで出勤しています。苑生たちの多くは子どもを施設や家族に預けています。特に少女たちは産んですぐに離れ離れになり、「子ども」を実感できづらい状況にあります。おそるおそる離乳食を食べさせてくれる人。懐かしそうにオムツを換えてくれる人。泣き出したらあやしてくれる人。長男をとおしてそれぞれの子どもや子育てしていたころの感情を思い出しているようです。女性にとって「子ども」の存在は大きく、生きていくための源でもあることを改めて実感しています。
 
  紫翠苑という多世代多様な家族のなかで育み育まれている長男。成長を見守ってくれる人がたくさんいることを幸せに感じています。そして長男とのふれあいが、苑生たちの更生意欲に少しでも良い影響を与えることができたならどんなに素敵なことかと期待しています。