2021年11月29日月曜日

「正義の見方」

                                                                       府中地区保護司会 矢島 千里

昭和30年代にあって令和3年にないもの。

 私は幼少期を戦後復興期に続く経済成長期の、熱気溢れる時代の中で過ごしました。今思うとその頃、共同体の中には漠然としながらも誰にも共通した「正義のようなもの」があった気がします。

夕暮れ時は家族みんなでテレビを観るのが楽しみだった時代。『鉄腕アトム』や『少年探偵団』を観た後、家族と『7人の孫』を観、祖父と『銭形平次』を観て善悪を刷り込まれました。善を尽くせば悪は滅びる、弱きを助け強きを挫く、という単純ですがブレのないメッセージは幼い心に社会への信頼と安心感を与えていたと思います。番組制作者たちも、戦後日本に突きつけられた問題やアイデンティティーを掘り下げた秀作を世に送り出していました。

 そして令和の時代。「正義の味方」も「明るい未来」もあやしく嘘っぽいものとなり、あやふやな平和の空気にコロナで冷え切ったいま。テレビはバラエティー番組ばかり、映画では悪役が支持され、人は正義感や人情では動かず、商業最優先の社会。コミュニケーションは殆どスマホ。数秒の動画とそれに混じる広告で、騙し、騙されの日常に疲れています。多様性の中で常識の感覚が人によってかなり違ってきている気がします。昭和の「正義のようなもの」は姿を消し、心の拠り所がなかなか見つからないまま、全てを疑わなくてはならない社会の中で自己責任で生きなくてはならない時代。

 若い人や対象者と接する時、特にこの生きた時代の違いを捉えて考えるようにしています。私があなたの立場なら、というスタンスでなく、私があなたの時代に生まれあなたの環境を生きていたら、と想像を巡らせます。少し間違ったら私も、または私の家族もそれと同じ間違いや発言をしてしまったかもしれない、とぐっとリアルに感じます。同時に今まで当たり前と思っていた常識の「見方」も日々アップデートしていくことも大切です。時代の波にのまれないように。

 

 

2021年10月4日月曜日

内側から相手を知る

                      北多摩北地区西東京分区 星出卓也

保護司となって沢山の方から助言やアドバイスを頂いたが、カウンセラーの中村泰章先生から学んだことは計り知れないほど大きく、今も私の保護司としての歩みを支えています。更生保護協会が主催する学習会などで中村先生が伝えたことは、相手を援ける援助とは、援助者が一方的な助言を与えることではなく、本人が自分の意思で立ち直ろうとすることを援けること。人に非行からの立ち直りという行動の転機を与える鍵となるものは、決して親や教師や保護司といった他人からの助言ではなく、本人自身の立ち直ろうとする意思にある、ということでした。そのような相手の心に改善や転機が生まれることを援けるような援助こそが保護司には求められているということでした。

中村先生は「保護司が相手を知る方法は外側からではなく、内側からである」と語っていました。「外側から相手を知る」とは、医師が患者に対するように、本人の問題点を客観的に観察し、いわば診断的に相手を外側から分析して助言を与えるという方法です。しかし人が求めていることは客観的な事例であるかのように観察されることではなく、一人の人間として接してもらうことです。それに対し「内側から相手を知る」ということは、相手の心の動きに沿って相手の気持ちに共感し理解するという方法です。そうした自分の気持ちを理解しようとする人の存在によって、人は始めて自分自身の心を見つめ始めるということでした。

私自身の生涯を振り返っても、親や他人から受けるアドバイスがどれほど正しいものであっても、私が「本当にそうだ」と思わないかぎり私を動かす言葉とはなりえませんでした。しかし自分が色々な挫折を通して「俺は一体何をやっているのだろう・・・」と自分自身が痛感し、受け止めたことは、もはや他人の言葉ではなく自分の言葉でした。そんな自分の気づきを生み出してくれるものは、自分に関心をもって共感する人の存在でした。

今でもついうっかり、余計な助言を人に押し付けては空回りする連続ですが、その度に、本人の意思しか本人を変えられないことを心に刻んで、面接の原点に立ち戻らせていただいています。

コロナ禍の中での面接

            八王子保護司会  山田 雅彦

 令和3年度の各地区保護司会の活動も、昨年度と同様に大きな制限がかかって始まりました。手足をもがれた感じもする諸活動ですが、特に大切な「対象者との面接」も、相手が見えない「電話」で、対象者の心情を推し量るしかありません。しかし、この電話対応だけしていては、用を足すのは問題ありませんが、対象者の心には届かないので(普段の電話での応対でそう感じてはおられませんか?)、実際には対象者になるべく会って面接を実施しています。その顔、声からは、電話に倍する真実と情報が得られます。対象者もそのほうが安心する感じがしてなりません。先日も手術して間もない対象者と面接をしました。対象者個人の生活にも大きな制限がかかっている毎日、その対象者は息せき切ったように話題を「爆発」させました。2週間にあったすべてのこと、そして逮捕された経緯や少年時代からの思い出話、また刑務所の中での経験も話します。中には、今後の面接や再犯防止に使える情報も、たくさんあります。あちらが心を開く、こちらも心を開いて訊く、これは「電話」では不可能と思いました。今後も細心の注意を払いながら、直接面接を行いたいと思っています。

2021年8月30日月曜日

東北紀行8,640㎞

                         町田地区 吉岡 俊幸

あの日あの時、どこで何をしていたのか、保護司の皆さんは鮮明に記憶されていることでしょう。2011311日午後246分。私は東日本大震災以降、東北3県と様々なかかわりを持つようになりました。

発災の年、当時勤務していた小学校から福島県浪江町教育委員会へ教育支援金を送り、教育長の計らいで浪江の子ども達と交流することが出来ました。

大川小学校震災遺構
また、翌年5月には赴任先の小笠原村から東京都教育委員会の震災視察団の一員として、宮城・福島県を訪問し、石巻の日和山から途方もない量の瓦礫の山を目の当たりにし、雄勝地区の大川小を訪れました。あの時の記憶、言葉を失い胸が強く締め付けられるような空気感を忘れることが出来ません。今では管理事務所や駐車場が整備され当時の状況とは大きく異なりますが、妻は「ここに子ども達が居たと思うと、幼い時に目にした原爆ドームのような衝撃を受けた」と語っています。

2014年内地に戻ってからは、5年間中学校で「防災教育の日」に三陸河北新報社の記者や避難所運営に携わった方などを招き、当時の様子や防災教育について講演をお願いしてきました。そして、20194月教職を退き東北三昧の旅が始まります。コロナ禍に翻弄されながらも、現在まで7回の訪問で延べ57日、訪問先は浪江や石巻・気仙沼を中心に、岩手県の陸前高田・釜石鵜住居など10か所以上。

その間、私は主に二つのことに注力してきました。それは復興の現状を自らの目で確かめるとともに、自治体が抱える復興への課題を役場などで話を伺うこと。2点目は雄勝の海で漁業ボランティアを行い、海と共に生きる漁師の生活者目線で震災を考えることです。海では定置網漁やホヤの水揚げ、浜ではワカメの種付け・収穫浜茹で・袋詰めにロープやブイの掃除など漁師の日常を学んできました。

8,640kmの旅を振り返ると、今なお「帰還困難区域」が存在していること、インフラ整備が進む一方で取り残された地域が存在し「復興格差」といった言葉を耳にすること、10年の歳月が経過し「風化への懸念」を募らせる人々や「止まった時間」に苦しむ人々の存在など課題解決の道のりはまだまだ続いています。

最後に、気仙沼の宿で目に留まった提灯を紹介します。津波に飲まれ全壊し、7年越しの再建を果たした旅館です。

2011 鎮魂  寒あれば暖あり  手を携えて 前に進もう 
       今ある生を信じて  生きていこう

2021年4月4日日曜日

五日市憲法草案の地

                                                                     西多摩地区保護司会  原島 悟

 

西多摩地区保護司会は、東京23区面積とほぼ同じ広さで、431村の8行政の分区から構成されています。豊かな自然や歴史に恵まれ文化人や著名人など多くの人々をひきつけ、豊かな文化圏を形成してきました。

東京都の有形文化財にも指定され、現在の憲法にも相通ずる点のある五日市憲法草案を調べてみました。明治14年に作られた五日市憲法草案は、明治10年代の自由民権運動が盛んな時期に、全国各地で作られた私擬憲法草案(民間有志による私案の憲法)のひとつ。昭和43年(1968年)にあきる野市(当時の五日市町)深沢にある深澤家の土蔵の中から発見されました。

標題は「日本帝国憲法」と書かれていましたが、発見者である東京経済大学の色川大吉教授によって「五日市憲法草案」と命名された憲法の草案の起草者は、現在の宮城県栗原市出身の千葉卓三郎です。

明治13年(1880年)五日市で教員として勤務し、学習結社である学芸講談会の活動を通じて自由民権運動に多大な影響を与えた人物です。彼とともに活動し大きな援助を与えたのが、盟主深澤名生とその長男権八親子です。

全部で204の条文が和紙24枚に筆文字で記されており、非常に条文が多いことが特徴で、国民の権利に関わる内容を多数盛り込んだ草案です。

2021年3月5日金曜日

地域ボランティア活動とコーチングの大切さ

                           府中地区保護司会 市毛 彰



子どもの活動の場を、地域へ求める機運が高まっている一方で、地域の子どもを地域で育てるという責任と連帯の意識が、地域の中に薄れてきました。これからは、スポーツや文化活動を通して、豊かな感性や心が育つ場が、必要だと思います。そのためには、地域住民の関心と協力を求め、地域ぐるみの活動へ向けた取り組みが大切です。私が学生時代から常に心に思っていたことがあります。それは、自分や自分の家族だけではなく、周りの人に対する思いやりの気持ちを持つ“心のゆとり“です。そして、特に地域の子ども達には、思いやりをもてるような地域環境を作ろうと思い、「地域の子ども達を褒めたり、時には叱ったりできる大人」になりたいと願ってきました。

 そうした考えのもと、私の趣味のテニスを活かしたボランティア活動として、小学校でのキッズテニス教室・中学校テニス部でのテニス指導、今年32年目になった日韓大学生テニス交流支援をボランティアとして進めて来ました。

ボランティアとして始めたテニス指導ですが、学生時代に私が習得したテニスの指導方法と今の近代テニスの指導方法は異なることから、テニスを学びなおす必要性を感じ、日本スポーツ協会公認 日本テニス協会公認 テニスコーチ①(旧 テニス指導員)の資格試験に挑戦し合格することができ、さらに知識を深めるためにテニスコーチ②(旧 上級テニス指導員)にステップアップする試験にも合格することが出来ました。テニスの指導員資格を習得したためコーチングや最新のテニス指導方法を学ぶ機会に恵まれ、特に教育や人材育成におけるコーチングの重要性を感じるようになりました。


《コーチングとティーチング》

コーチングとは、「一方的な指示・命令ではなく、質問・提案を投げかけることにより相手の発言を促しつつ、自分の特性に気づかせ、自発的な行動を引き出していく手法」です。私が学生時代のテニス指導は、コーチングではなく一方的なティーチングが主であり、どうしたら課題がクリアするのか戸惑った経験がありました。今はコーチングの重要性を知りコーチングを軸にして学生、社会人、高齢者にテニスのボランティア指導をしています。社会人に2カ月間のコーチングをしましたが、テニス大会で優勝するなど、信じられない程の成長をしたこともありました。昨年から東京都スポーツ指導者協議会の理事として広報を担当することになり、コーチングの重要性を皆さんに伝えたいと思っています。

保護司としての更生保護活動にも、コーチングが有効であると思います。保護観察対象者と会話しながら自発的な行動を引き出していきたいと思います。

2021年1月22日金曜日

源氏物語

                              北多摩北地区(東久留米分区)衛藤 裕子


 いづれの御時にか女御更衣あまた侍ひ給ひけるなかに…主人公“光源氏”を生んでそのまま死んでゆく源氏物語の『藤壷』の巻の書き出しである。

 私は若いころ何となく読み、光源氏の気紛れな恋愛小説ととらえていた。しかし、古稀を迎えた今読んでみると、私自身生きてきた経験をふまえ改めて物語から問題が発見され、源氏への関心がふくらんでくる。日々の宮廷生活の中に人間の葛藤が示されていて、興味本位でないことに気付いた。源氏物語の中の人物の体験を同じように味わうことはできないが、起きた事柄に対し登場人物がどのように乗り越えようとしたか、どのようにして苦しみに耐えてきたか。人間の気持ち、人間の心の世界を細やかにありのままに丁寧に書き留めているのは、世界の文学のなかでも突出している。

 本居宣長も「人の様子、自然にあることをありのまま書いているので、人生の節々で感じる喜び、悲しみ、苦しみを重ねてみて実感できる。儒学や仏典などのような書物とは違う。11世紀の人間の心の動きを描いたのは、世界でもただ一つ源氏物語だけ。」と言っている。

 源氏像は、当時の人たちのあらゆるあこがれとする一級品の顔、形、姿、身分、心ばえを集めた人物で、もののあはれを知る人が良き人だったので、その時代に一線で活躍した人のよい所を全部集めて一人の人物像を表現しているとも考えられる。

 平安時代の貴族の家族小説「空蝉」では、人妻空蝉を光はなんとか手に入れたいと恋を仕掛ける。空蝉が心の中で経験した葛藤は、当時の社会矛盾の表現。

「乙女」は、光の長男夕霧は12歳になり、夕霧への教育論。

「蛍」では養父の光が玉鬘に言い寄るあたり、人間の心をありのままに描いていて、文学とは何か、勧善懲悪の儒教の宣伝ではない。十人いたら十人の解釈がある。ここにこう言う生き方をする人がいる。みんなどう思う?考えようという文学論。

「真木柱」は武骨な髭黒が浮気をし離婚する。両親の不和の間で子の親権・養育費についてのべている。

「葵」では妻を失った男はどうなるのか、娘を失った父母兄弟はどうなるのか、愛しい人を失った人間の心のさみしさ、むなしさ、失った寂寥感は埋めようがない‥‥など。

 でもこの物語でいちばんの問題は、光と藤壷女御との蜜通に至った罪の問題ではないだろうか。

 源氏物語を再読すると、決して貴族社会の愛欲だけを描いているのでなく、悲劇感覚の深さを感じる。