男の趣味―手打ち蕎麦に魅せられて
町田地区南分区長 松沢 明治
手打ち蕎麦を始めたのは今から16年前、ひょんなことからある有名な蕎麦屋さんの若女将から5㎏程のそば粉をいただいたことがきっかけでした。
最初は何の知識も技能もないまま、こんなものだろうと打ってはみたものの、茹で上がったものは香りはすれども形にならず、スプーンで掬わねばならぬような惨めな代物でした。
そんな時NHK教育テレビの「男の趣味ゆうゆう」という番組があり、ある会社社長が蕎麦打ちに凝り段々と腕を上げ、個人的趣味からやがて社員たちに振る舞うまでになったという内容でした。一カ月に亘るシリーズで、手順を記すと、粉合わせ~フルイかけ~水まわし~こね~くくり~へそだし~のし~つのだし~たたみ~切る~茹でる~食べるとなります。
この行程のすべてを食い入るように見て、早速本屋さんに跳んで行きテキストを購入。テキストを読みテレビを見ては実践―を繰り返しました。
腕を上げるに従い、蕎麦打ち専用の小屋を建て、木鉢、麺棒、まな板、包丁こま板、ふるい、蕎麦ちょこ等をカッパ橋道具街まで出かけて買い揃えました。
大晦日には前々日から準備に取り掛かり、80~100人分を朝7時から打ち始め、順次家族が配達したり、取りに来ていただいたりして午後5時くらいまで立ちっぱなしでやっていたものです。
特筆すべきは、2005年チェコの首都プラハ市から市議会議長はじめ要人20数名が愛知万博の帰路町田市に立ち寄ったおり、市からの要請で手打ち蕎麦でおもてなしをしたことです。これはさらに発展し翌年9月には返礼として、総勢25~6名からなるチェコ友好訪問団(町田フィルハーモニー楽団、茶道、蕎麦打ち)が編成され、仲間二人と参加し、7泊9日で友好親善を深めることになりました。
手打ち蕎麦の格言として<のし切り3年 茹で10年 練りは一生>とありますが、練りの出来不出来により蕎麦の旨味が左右されます。
最近は多少の体力的衰えと地元へのボランティア等で以前ほど打っておりませんが、保護司仲間とは時々蕎麦パーティーと称して酒を酌み交わし楽しんでいます。水のある所ならば、どこにでも蕎麦打ちの出張サービスいたしますよ(笑)
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