2025年9月1日月曜日

ハラハラする話

                        調布狛江地区保護司  林田堯瞬

 

 はたして梅雨と感じる時期があったのかも分からず酷暑の夏へと突入、秋へと移り変わる今も、ガンガンに効いたエアコンの中、キンキンに冷えた物をガブガブ飲む毎日。果たしてどこまで続くのか不安が募る一方、当然胃腸には宜しくない状態が、ずっと続いています。

 腸は第2の脳とよく言われますが、ある医師によれば脳が第2の腸であるようです。生物は受精すると最初に腸が出来、次に栄養を摂取する口と余分な物を排出する肛門が出来ます。さらに栄養を蓄える肝臓、酸素を取り込む肺が出来、命令系統は腸が担っています。体や臓器が複雑になると、腸に代わり脳という命令系統を担う臓器が出来ます。脳は腸を模倣して、うねった形になり、大腸小腸があるように、大脳小脳があると言われています。生物には、クラゲやイソギンチャクのように脳が無いものもいますが、腸が無い生物はいません。脳を作らずとも、腸が各器官への命令系統の役割を担っているからです。

 思うに、日本人も古来より考えることや思うこと、感じるのは頭ではなく、腹()なのです。

    怒る腹が立つ  

       激怒(はらわた)が煮えくりかえる

覚悟を決める腹をくくる

度胸がある腹が座る

悪巧みがある腹黒い

すごく笑う腹を抱える

私利私欲を満たす私腹を肥やす

他にも、腹に収める、腹に落ちる、腹を借りる、片腹痛い、背に腹は代えられない等があり、腹は生命力や心の中心、直感の源と考えられていました。

 保護司として対象者に接する時、お互いに腹の探り合いをするのではなく、腹を割って本音で話し合える。そんな関係を築きたいと思いつつ、今日も熱帯夜の中、腹を出しながら寝ています。

2025年8月1日金曜日

「自由か介入か、放任か干渉か」


                            国分寺分区/本多 勇

 

 人との「距離感」について、いつも考えさせられます。もちろん、物理的な距離ではなく、心理的・社会的な距離感のことです。

 生まれてすぐの赤ちゃん(乳児)は、抱っこや授乳(食事)、おむつ交換(排泄)、寝かしつけなど、さまざまに関わらねばなりません。それがだんだん保育園など社会に触れるようになり、成長してくると「パパ・ママやって!」から「自分でやる!」が増えるようになります。そして小学生、中学生、高校、大学・・・と段階を経ていくにつれ、生活の自立度が高まり、「放っといて」と関わりを拒否するようなことも出てきます。子育てをしたことがある方は実感されたことがあると思います。

 家庭だけでなく、職場や学校など複数の人が集まる場面や、友人・知人・恋人との人間関係においても、距離感は重要です。その人の「世界(意味世界、生活世界)」へ関わる際、人間関係の良いバランスを維持するために、上手に距離感を保つ必要があります。社会的な礼儀、社交はある程度のバランスが保たれます。生活への支援(医療・福祉、教育、そして司法)の局面には、より一歩踏み込んだ関わりが求められます。ここで、「自由」や「放任」の姿勢で見守っているのがベターか、それとも「介入」「保護」「干渉」するように変更させたり制限したりするのがベターか、悩まされます。

 さまざまな多様性を持つ人々が、同じ空間(地域、マンション、家、施設)で暮らす際、自分と同じ「感覚」「他者との距離感」を持っていることは、ほとんどありません。保護司と対象者は、ある種法的な関係性があるとも言えますが、対象者の生活をサポートする場面では、当然のことながら、すべて「介入」「干渉」するのではなく、対象者本人の潜在能力を信じて「自由」「放任」の姿勢と距離感を持つことも必要なのだと考えます。

そして、時に、視線を交わすだけ、手を触れるだけ、横にいるだけ、という存在としてのサポートも有効なことがあります。他者との距離感、人間関係の維持、難しいことです。

2025年5月6日火曜日

「思い出の美ヶ原」

 

                    府中地区保護司会    小澤 秀敏

 

 中学3年生だった昭和41年7月、下校時に我々クラス仲間4人が校門の近くを通るとリヤカーで砂利を運んでいる人が目に留まった。よく見ると、4月に着任した校長先生ではないか。今まで一度も話をしたこともなかった先生だったが、誰からともなく先生の作業を手伝い始めた。心地よい疲労感の後、帰りがけに校長先生が口にしたのは、「君達、夏休みに山に行かないか?」という信じられない言葉だった。そして皆で相談し、親にも許可をもらった上で、連れて行って頂くことにした。学校の図書館で調べた結果、長野県の美ヶ原高原を候補として先生に相談、行き先は「美ヶ原」となった。

 8月中旬、新宿駅から中央本線の夜行列車に乗り、早朝松本駅で下車、路線バスに
乗って美ヶ原高原へ。記憶は定かではないが昔ながらのボンネツトバスだったと思う。そのバスはともかく、女性の車掌さんが素晴らしくて、優しさに溢れた接客態度に心が温かくなった。バスは停留所を外れたところで手を挙げた人を乗せたりして、ゆっくり山道を登って行った。車掌さんの振る舞いを見て感動したのは私だけでなく、4人の少年全員だったことが後でわかった。

  美ヶ原は本当に美しいところで、咲き乱れる高山植物はもとより、自分達のやまびこを聞いたり、ケルンを積んだり、山が初めての少年達にとっては新鮮な驚きばかりであった。着いたその日は快晴、キャンプ地に着くと、校長先生の指示の下、持って行ったテントを張り、周囲には夕立用の溝を掘り始めた。その時、近くのテントから「今日は雨なんか降らないよ〜」という我々の作業をあざ笑うかのような言葉が聞こえてきた。ところが、作業を済ませて間もなく、俄かに雲行きが怪しくなり、大粒の夕立がやってきたのだ。近くのテントでは大騒ぎ、そして慌てて溝を掘り始めている。彼らの作業をテントの中で見ながら5人で大笑いした。

  翌日、列車に乗る予定で松本駅へ出たが、駅前で声を掛けてきたのが陸送屋さん、新車のトヨタクラウンで府中まで一人400円と言われて承諾した。列車より安かったのだが、まだ中央自動車道がない時代、曲がりくねった甲州街道を滅茶苦茶飛ばすので、生きた心地がしなかった。今でも当時の仲間と飲むと決まってこの話で盛り上がる。中3の夏の思い出である。

2025年4月21日月曜日

「酒は百薬の長」

                        北多摩北地区清瀬分区保護司

      薬剤師  阿久津七光

 

 酒は良く効く。医師より処方され、薬局で調剤される医療用医薬品より、酒の方がはるかに劇的に効く。酒に弱い私には3分間で効いてくる。顔は赤くなり、脈は速くなる。たった3分で体に変化が出る物はそうはない。医療用の医薬品でもこれ程激しく効く物は少ない。飲み過ぎると急性アルコール中毒になる。私にとって酒は劇薬になる。

 もし酒が医薬品だったら悪酔・二日酔い・急性アルコール中毒・慢性アルコール中毒等になれば、おそらく皆様は副作用として、国とメーカーを相手に薬害として大騒ぎになるのではないだろうか。しかし酒は医薬品にはなっていないので、この副作用を酒のせいにせずに自分の体調のせいと考える。同じ物が薬か否かで皆様の考え方が変わってしまう。

 酒は血行を促進し、気を発散する気剤として大切な薬である。だから古来より“酒は百薬の長”と言われてきたのだ。酒を飲めば個人差はあるが全員が必ず酔っぱらう。酒とは本当に良く効く薬なのだ。

 「薬」という字は「艹(くさかんむり)」と「楽(らく・たのし)」からなります。自然の草根木皮(そうこんもくひ)を用いて体を楽(らく)にすることを表しています。

2025年4月3日木曜日

人に優しいまちづくり

                         調布・狛江地区保護司会  酒井 淳


 一月末に不注意から階段を踏み外し転落して左足を骨折してしまい、一ヶ月入院生活を過ごしました。退院後リハビリをはじめ、松葉杖の生活をしました。足を骨折して感じたことは元気だった時に何とも思わなかった、少しの段差も障壁になるということでした。また父母の為に設置したトイレや浴室の手すりの有り難さを実感しました。バリアフリーをネットで詞べると「あらゆる人の社会参加を困難にしているすべての分野でのバリア(障壁)の除去という意味でもちいられる」とあります。 

 「人にやさしいまちづくり」の大切さを改めて実感しました。

 青少年の対象者は特に幼少期の生育環境の劣悪さがバリア(障害)となっているケースがあります。その意味でセーフティーネットが充分に提供されることが本人の更正だけではなく、非行や犯罪を減らしていくことに繋がると思います。

 また地元調布市では、犯罪や非行をした人たちが、生きづらさを抱えたまま地域社会の中で孤立することのないよう、円滑な社会復帰を支援するため、令和4年12月に「調布市更生支援プラン(調布市再犯防止推進計画)」を策定しました。

 本計画では、基本目標のひとつに「誰一人取り残さない支え合いのまちづくり」を掲げており、その主な取組の一つとして「民間協力者の活動促進等」を挙げています。


2025年2月26日水曜日

茶室「虚心亭」の再建と地域社会への貢献に携わって

 町田地区保護司会 鶴川分区 藤牧 素子

 

 令和2年、更生保護女性会新年会の席で、突然に先輩である池田さんから「20年以上眠っていた叔父が残した茶室を引き継いだので、ぜひ力を貸して欲しい」との依頼がありました。私がお茶を教えているのをご存じだったようです。

 その頃は保護司、学校ボランティア、母の介護等で忙しくしており時間が取れるか心配でしたが、あなたのペースでじっくりと進めてください。との事でしたのでお引き受けをしました。私一人では心もとないので、同じ流派の先生と漆職人(塗師)で茶人でもある方に声を掛け、後に「白雲会」と名付けた運営委員会を立ち上げました。

 折悪しくも、2月ごろからコロナウイルスが猛威を振るいすべての活動が自粛となってしまいました。ようやくリニューアルオープンにこぎつけたのが、令和45月のこと。五月晴れの薫風の下、茶室や庭を行きかう客人から漏れ聞こえる賛辞を聴きながら、2年間、ひたすら掃除と風通し・修理だった日々を思い感無量でした。

 オープン後もコロナの影響はありましたが、茶道教室、ヨガ教室、書道教室等のお稽古が定着し、運営委員会では様々な企画が生まれ、和笛の会、茶筅供養、金継ぎ体験、香道等の茶道に関した研究会を開催してきました。

 今年度4回目となる雛の展示と呈茶は、池田氏の「ただのお茶ではなく、地元の方に足を運んでいただき愛される場所にしたい」との思いを具現したイベントです。

  昨年11月には、茶道協会に地元中学校の茶道体験の会場としても使っていただき、本格的茶室での体験は生徒さんにもとても好評だったとうかがいました。これからも老若男女対象を問わず、日本文化の伝道の場として茶室「虚心亭」を活かす事に携わり続けたいと言う思いを強くしている次第です。

2024年10月1日火曜日

ロケ地 ひとり旅

   日野・多摩・稲城地区  土谷縷美  

 

多摩市 京王線聖蹟桜ヶ丘駅から桜ケ丘二丁目経由永山駅行きのバスに乗ると1995年に上映されたスタジオジブリの名作“耳をすませば”の舞台になった、いろは坂・金毘羅神社・桜ケ丘ロータリー界隈で、聖地巡礼ルートを散策しているらしき若者の姿をよく見かけます。感動した映画のロケ地に行ってみたいと云う気持ちは超後期高齢になった私でも同じ思いを抱いているので共感します。

 

 “人生の約束”

(2016年上映、竹野内豊・江口洋介・優香・小池栄子・西田敏行etc

あらすじ

IT関連企業創業からの盟友で掛甲斐のない親友だった友をも切り捨て、会社の拡大にしか興味がない仕事一筋に生きてきた男。数年後のある日、その親友から携帯に何回も着信が入る。無視し続けたが胸騒ぎを覚え、親友の故郷・富山県新湊を訪ねたが既に帰らぬ人となっていた。親友の娘から、故郷で続く新湊曳山祭りの曳山を隣町から奪い返したいと願いつつ亡くなったと聞かされる。亡き親友の思いを知った男が親友の娘の願いでもある曳山を救おうと立ち上がる中で人との絆を見つめ直し、失ってきた大切なものを取り戻そうとする過程が描かれた感動の映画。

 

何十年も前に偶然車中から眺めた残雪輝く立山連峰の壮大な美しさが忘れられず、あの素晴らしい景色をもう一度見てみたいと願っていた折にDVDで観た“人生の約束”。ロケ地が富山県射水市と知り、杖歩行ながらひとり旅をしました。天候が思わしくなく残念ながら立山連峰の全景は見ることは出来ませんでしたが、ロケ地となった射水市新湊地区の内川は「日本のベニス」とも呼ばれているとか。内川には13本の個性的な橋が架かり小船が係留されていて、板塀の古民家が連なる内川周辺の回廊と橋を巡りながらの散策は風情豊かな趣を感じ今なお脳裏に残っています。古民家の宿に戻る途中、中学生らしき男子に声をかけ、道を尋ねたとき「なんでこんな何にもない町に来たのですか!?」と聞かれ、小学校低学年であったであろう頃の映画は知らないだろうと思いながらも“人生の約束”の事を話した。すると驚いたことに「あの映画はこの町の誇りです!!」と目を輝かし嬉しそうに語っていました。
“社会を明るくする運動”のポスターにも使われた、
高倉健主演の“あなたへ”でもロケ地となった町、どちらも胸に迫るストーリーでしたが「町の誇りです!」と胸を張って話していた中学生の言葉が印象深く、より一層素晴らしい想い出の旅となりました。