2019年12月5日木曜日

平山郁夫先生と更生保護


                    調布・狛江地区保護司会 柿澤正夫


今年の8月7日、奈良の斑鳩の里を歩いてきました。JR法隆寺駅から歩いて法隆寺、中宮寺を回り、少し足を延ばして法輪寺と法起寺をめぐり、タクシーで法隆寺駅にまで戻りました。

 今回の旅の目的は、斑鳩の里にたたずむ法隆寺の五重の塔、法輪寺の三重の塔そして法起寺の三重の塔を巡ることにありました。実は、これらの塔のうち法隆寺と法起寺の塔については、更生保護にも多大のご貢献をいただいた故平山郁夫先生がそれぞれ描かれ、更生保護に寄贈を受けました。昭和64年に寄贈を受けた『法隆寺の塔』は、陶板にして日本更生保護協会の運営に寄与された方々にお礼の品としてお送りしており、また、昭和60年に寄贈を受けた『法起寺の塔』は、同じく陶板にして日本更生保護協会設立100周年の記念品としました。平山先生からは、これらの二枚の絵画のほかに、『米蘭の仏塔跡』も寄贈を受けており、現在、三つの絵画を更生保護会館に飾っております。また、法輪寺の塔については、先生の絵画が『更生保護』昭和62年7月号の表紙を飾っています。

 さて、法隆寺では飛鳥時代の伽藍が素晴らしく、我が国最古の五重の塔は30メートル余りの高さがあり、その優美な姿に心を打たれました。何十年ぶりかに訪れた法隆寺でしたが、夢違観音像や百済観音像、玉虫厨子等を安置する大宝蔵院を拝観して夢殿に至る道には懐かしさを覚えました。

 次に中宮寺の弥勒菩薩像を拝観した後に、わき道を通って法輪寺まで歩きました。梅雨の合間の暑い日照りの下を法起寺の三重の塔を遠方に見ながら法輪寺への道を歩きました。法輪寺の三重の塔は火災で焼失し昭和に再建されたもので、世界遺産には含まれていません。

 法起寺は田園風景の中にひっそりと佇むお寺という言い方がぴったりします。三重の塔は高さ24メートルで日本最古の三重の塔です。その姿は飾りがなく簡素で力強く、下から見上げると思わず手を合わせてしまいます。平山先生は芸術と更生保護について『更生保護』平成元年10月号に次のように書いておられます。

 「私は、平和を祈る、芸術を通じて平和に貢献したいという気持ちで絵を描いている。私自身広島の被爆体験者であるが、広島の原体験を「恨みつらみ」で告発しても犠牲者が救われるものではなく、また、恨みつらみでは絵にならない。・・・()・・・罪を犯した者を罰するだけでなく、この者が再び生きていくチャンスを与えなければならない。いつまでも罪に対する「恨みつらみ」をもっていてもはじまらない。あるときから、それを超えていかなければならない。それが更生保護である。」

 被爆体験者である平山先生の絵画の原点が更生保護の精神と共通するということを早くから見抜かれ、更生保護に長くご貢献頂いたことに、改めて平山先生の偉大さを感じ、法起寺を後にしました。(完)

 

 

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