2014年11月1日土曜日


古代米の収穫

           町田地区保護司会  鶴川分区  石川 洋一郎

 

 それは平成21年のことでした。当時、町田地区保護司会は、サポートセンター受け入れ準備で会長はじめ理事役員は、多忙を極めておりました。その時の会長小川康夫氏は、熊本県菊池市にある更生施設農場、菊池ファームへ役員を派遣され見学されました。その折、農場で採れた古代米3種(赤米、黒米、みどり米)をお土産にいただいてきました。私もその古代米を盃一杯ほど分けていただき、ゆずり受けました。

 翌年、ためしに播いてみると、よく発芽して立派な苗に育ちました。水田の片すみに植え、大切に管理したところ、秋になると鮮やかな朱色、あわいみどり色の稲穂が顔を出し、水田の片すみを色どりました。以来、種モミを増やし、作付面積を広げて小さな水田の大半を古代米で色づかせてきました。

 3種類の古代米を説明します。まず、姿、形では、赤米の穂の出たてが一番です。ノ
ゲまで朱色でピンとはった姿は、格別です。

 次は黒米です。穂の出はじめから実が入り、穂がたれてくるまで、黒びかりしてくる様は、すこぶる重みがあります。みどり米は、あわい緑であまり目立ちません。味はみどり米が一番美味しい。次が黒米、赤米は収糧はとれるが、味はイマイチです。穂が出はじめてスズメどもが、よってたかって食べるのは、みどり米です。食べるには、モチにしたりおはぎにしたりすると美味しく食べられます。現在のモチと比べても遜色がありません。

 今年も、色づいた水田を眺め満足しております。11月に入ると稲刈り、そしてかけぼしをして収穫します。悩みは、種が混じり合うことです。種モミは、一粒一粒厳選して分けますが、やっかいです。

 種を播き、育て、実らせる作業は、気持ちが入っていないとできません。私ども保護司の活動ともあい通じるものがあります。

 縄文人が、朱に染まった水田のまわりで豊作の舞を舞う姿と、結構うまいモチを食べていたのだと、遠い昔の平和な村落を想い、これから収穫の作業に入ります。

                 赤米(少し)と黒米

                          黒米とみどり米

                 みどり米と黒米

2014年10月1日水曜日


                      保護司仲間とお遍路に

 
               日野・多摩・稲城保護司会

          多摩分区 河内惠子


 若い頃から旅が好きでしたが、16年前四国遍路を初めてすっかりはまってしまいました。
交通手段や遍路道、宿あれこれ試行錯誤しながら何度も88札所を廻り、「歩き遍路」での
結願も果たしました。その後保護司になった10年ほど前に、同じ新米保護司仲間だったOさんから頼まれて1年かけて一緒にお四国を廻ったのがきっかけで、二人で『レッツ・エンジョイ・お遍路さん』という本を自費出版することになったのです。
私の手書きの旅程表(交通情報だけでなく食事や観光などお楽しみも満載!)とOさんの珍?道中日記風の紀行文をまとめたものですが、これがおもしろいと好評で「私もお遍路に行きたい」「連れてって」と保護司や更女のお仲間から声がかかり始めました。私自身はその頃既に四国詣では100回を超えており、札所でご朱印を押してもらう納経帖は真っ赤で隙間が無いほどでしたが、「行きたいという人があれば喜んで『隠れ先達』を勤めさせていただきます!
お互い制約のある時間を調整し無理なくその人にできる遍路旅の計画をたて、区切り打ちや逆打ちなども組み合わせて何回もかけて結願まで一緒に楽しんでいます。

普通の観光旅行とは違って、遍路に出る人はそれぞれ重いものを胸の内にかかえているのかもしれませんが、そこは敢えて問わず語らず、道中は「できるだけ楽しむこと」をモットーに、地元の美味珍味を味わい観光見物もしながらお四国ならではのお接待体験もしています。時間・お金・健康どれが欠けてもできない88札所巡りを無事に終えて結願した時の喜びは誰にとっても格別で、一緒にそれを共有できた私もほんとうにうれしいです。

 遍路旅の途中で主任官から電話が入ったこともありますし保護司会の緊急用件で同行の仲間に携帯電話を回して相談したことなど、綱渡りのようなはらはらどきどきも終わってみれば笑い話です。今でも手帳に予定のない日があれば一人で四国へ飛んで行く私ですが「また遍路に行くの?なぜ?」と聞かれると、「何回行っても、自然と人との一期一会の出会いに同じことはない。いつも新しい発見や新鮮な出会いがある。」と答えるしかありません。
一緒にお四国遍路旅に出かけませんか?「隠れ先達」はいつでもご案内しますよ!



 
 
   

2014年7月13日日曜日


ファーレ立川のアート

                                                           北多摩西地区(立川分区) 中島 満喜子

JR立川駅北側に1994年にオープンしたファーレ立川という街には、ホテル・デパート・映画館・図書館・オフィスなどが入っている11棟のビルが建っています。そしてこれらのビルの外壁や植栽の中、歩道の端などには36カ国、92人の作家のパブリック・アートが109点設置されています。作品には作家名などが書かれたプレートはなく、自分で歩いて探してくださいというのもアート計画のコンセプトの一つです。そしてここの作品の一番の特長は、ベンチ・車止め・街灯などの役割を持っていることです。

この街のアートをボランティアでガイドしているのが『ファーレ倶楽部』というグループで、私もその一員です。6年前から立川市の小学校20校の5年生が授業として来るようになり、ファーレに近い学校は徒歩で、遠い学校は市が用意したバスで送迎します。
1クラスを4班に分け、各班にガイドが付き50分くらい歩きますが、安全確保のため保護者や先生がついてくださいます。後日感想文を送ってくる学校もあり、それを読むのも皆の楽しみです。感謝の言葉から始まり、驚きや新たな発見を素直に書いて伝えてくれます。

 ここで少し作品を紹介しましょう。

①ニキ・ド・サンファル(フランス)
高島屋とパレスホテルの間にある色鮮やかなベンチは、ニキ・ド・サンファルの作品です。二人でこのベンチに座ると、顔を見合わせて話ができます。『会話』と題されたこのベンチはFRPという強化プラスチッスで創られ、子ども達に人気のある作品です。
ニキさんは原色を使った柔らかな形で生命の力をうたいあげる作家です。



 

②ヴィト・アコンチ(アメリカ)
長さ3m、幅60cm、高さ120cmの半分の車は、ベンチで車止めです。
見ためは石かセメントに見えますが、材料はFRPです。そしてこの半分の車は歩道と一体になっています。歩道から湧きあがった車のようです。子ども達が来ると、運転席に誰が座るかが決まるまで時間がかかる時もあります。

 

③ゲオルギー・チャプカノフ(ブルガリア)
高島屋の駐車場入口近くに鉄の犬がいます。これがチャプカノフの作品です。彼は犬の他に羊と馬を作りました。材料は立川で使われていた農機具の残骸です。
残骸置き場に行き、残骸を見て何を作るか考えました。一番大変だったのは、危なくないように磨く作業だったそうです。羊の角は耕運機の刃です。でも磨いてあるので子ども達は楽しくまたがっています。



ファーレ立川には、1年に1日しか見られない厨子に入った神様の作品や、太陽が出ている夏至の日にしか見られない作品もあります。
 

 仲間と「楽しくなければボランティアじゃない」を合言葉に、楽しくガイドをしながら歩いて17年になりました。

2014年5月11日日曜日

            五合庵探訪

                    北多摩北地区(東久留米分区) 原 健一

 

だいぶ前のことであるが、ある研修で先輩保護司の講話の中での言葉「犯罪は何時頃から存在していたか、人類発生の時代から存在した」と。研修内容はほとんど記憶に無いのですが、そうなのかどうかは別にして、この言葉だけは記憶に残って、しかも時々思いだすのです。
 何故にそうなのであろうか。

 そんな想いに誘われたのか、その後越後の国上山五合庵を訪ねる機会があった。若葉の頃です。五合庵は新緑の中に建つ六畳一間きりの木造茅葺の小さな庵で、往時のものは倍程度広かったといわれているが、静寂そのものでした。

 
 
 沙門良寛は玉島の円通寺で修行、諸国放浪後に越後に戻り、主に蒲原平野の里を托鉢し里人に法施しつつ、ここに後年十数年寄住し思索した。往時の状況は知る由も無いが「無欲一切足 有求万事窮」の清貧生活だったと伝えられており、また多くの歌、詩、墨書を今日に残している。
 では、良寛は何を伝えたかったのだろうか。 

 良寛の歌に「何ごとを営むとしもなけれども閑に暮らす日こそ少なき」があるが、その憂いとは何だったのだろうか。
 俗界の凡人には知り得るところではないが、一時間半ほど何思うことなく滞在、訪れたご夫婦に写真をお願いして五合庵を辞した。

 その日は麓の長寿苑に宿泊した。近年は昔ほど雪も多くないと宿の人は話していたが、往時の厳しい状況のなかで騰々任運の生き様に思いをめぐらすと「何故にそうなのであろうか」などと思うおのが不明を恥じるのみであった。




          経済格差と教育格差
     
    

                               

                                                                                調布・狛江地区  ASUKA


犯罪の原因の一つは経済格差にある。経済格差は教育格差とつながる部分もあり、教育扶助受給率と学力試験の平均点と相関関係がある。扶助受給率の高い市区の平均点は低いところと科目あたりで10点もの差がつく。


格差に苦しむ子供たちは、きちんと自分の気持ちを表現出来ないのだが、こうした経済格差を肌で感じながら、何となくイライラして育っていくように感じられる。この経済格差によるイライラ感は子供たちの努力によって解消されることはない。

私事で恐縮だが、学習塾を経営しており、高い料金を払えば子供にとって最良の学習環境を整えることができ、格差は広がるばかりだ。こうした状況に何とか立ち向かい、解決の糸口を探し、少しでも役に立てるよう、通常の月謝の半額以下のクラスをつくり、無料学習会を開き、ネットで授業を無料配信するなど活動を広げている。しかし残念なことに、来て欲しい子供たちは来ず、真面目にきちんと学習する子はさらに勉強する結果となっている。格差を埋めるための活動が格差を広げる活動になるようでいたたまれない。弱者が自らの力とサポートによって力強くそして明るく生きてゆける希望の持てる社会となることを願って、今後も私自身にできることを精一杯やっていきたい。

 

2014年4月14日月曜日


我慢・辛抱・おもいやり!

                   西多摩地区保護司会青梅分区
                                        保護司 前園 務

 平成16年に検察を定年退職、その後関東地方更生保護委員会の委員として3年、歳を重ねて昨年古希を迎える年齢になった。 町内会の老人会には還暦を迎えた時に加入したものの以後名目だけで、ゲートボール等はまだまだと思いつつ、無駄な抵抗をして拒否し続けている。

 委員会を去ったあと、自宅に地域の保護司会長と知り合いの女性保護司が来られ保護司就任手続きのための書類を置いて行かれた。 浅学非才の者ですが法務・検察に身を置いていた者としての責任を果たすべく、また地域の安全・安心な社会を願う者の一人としてお引き受けすることとなった。

 併せて、刑事司法の車の両輪である応報刑の役目のみに目が向き、社会の寛容によって社会で更生するチャンスを与える、いわゆる教育刑の役目を担っている更生保護に無関心であった余りにも無知の自分に反省させられた。

 委員会在職中に、少年院からの仮退院や刑務所から仮出所する者の家族の引受意思等を調査した保護司作成の書類(生活環境調整書)を見て~保護司の仕事は大変だ。 自分にはとても務まらない~ などと思っていたが、いつの間にか保護司6年目(現在保護観察対象者3名担当)を迎えることになった。

 核家族化や地域社会の人間関係の希薄化が一層進み、保護観察対象者を取り巻く生活基盤や支援体制はますます脆弱になりつつあり、対象者の自立には自身の自覚・努力とともに、以前にもまして家庭・交友関係・住居・就労・就学等様々な条件や環境の整備が必要だと思われる。 これまで、西多摩地域は比較的治安も良かったし、また重大事件も少なくなかったが、近年ここ西多摩も例外ではなくなって来ている。

 対象者との関わりで、世の中はむやみに敵対すれば牙をむくが、周囲への感謝は逆に大きな助けをくれる。 機会ある毎に「我慢・辛抱・思いやり」の大切さを説いてきたが、「約束を守らない。平気で嘘をつく」等のまた騙されたの連続で、よくよく考えると、この言葉は自分のことと感じるようになった。 とは言うものの、保護司は対象者の人生の一部に関わる仕事で、対象者と共に,自分も成長出来る究極の贅沢な仕事だと思う。 しかも人間の魂に触れる仕事で、また自分の生き様を検証出来る良い場でもあると思われる。

 昨今の新聞報道では、「高齢化が進み,保護司の担い手が不足している」などの報道がなされ、また法務省は,「このまま減り続ければ再犯防止の役割を果たせなくなる」などと危機感を強めているが、平成24年度の犯罪白書によれば、保護司として活動実績を重ねて行くにつれて、「社会の役に立っているという充実感」や「対象者の更生に役立っているという充実感がある」と答える保護司の割合は増えている。 これなどは対象者が保護司やその家族との触れ合いの中で心を開き、人間的にも成長していくことに喜びと生き甲斐を感じていることの現れではないかと思われるし、人間同士の見えない絆の実感・確認と言えるかも知れない。 できるだけ多くの人に、この保護司としての「冥利」を体験してもらいたいものだと思う。 また、保護司の職域は自治会や農業関係者・お寺の僧侶・会社経営者・福祉事業関係者・教育関係者等多岐にわたり、いわばその道の人生の達人である。 そのような仲間との交流は一般社会では味わえない領域であり、人間的な魅力・幅を築くのに最高の場でもある。

今は保護司になって、妻も「更生保護女性会」の会員となり協力してくれるなど、亀裂の入った夫婦関係も修復でき、今後は家庭に社会に知力・気力・体力の続く限りささやかな恩返しをし、楽しき農夫仲間と畑を耕し、併せて更生保護を耕し続けて行きたいとの思いである。

 

2014年1月5日日曜日

                            
                                 仏像と私

                                                                                          町田地区保護司  井上  勉

私が仏像と出会ったのは、20歳の頃です。祖父が大切にしていた椿の木を、お墓の整備の為切り倒してしまいました。祖父の気持ちを考え、その木を使って何か作ろうと思い、仏像彫刻の本を手にしてこつこつと彫り始めました。飽きることなくただこつこつと…。完成した時は、大きな満足感でした。その後、千手観音等を彫り、寺院や阿弥陀堂に寄贈してきました。

 絵画は、町田市油絵青年講座で習い始めました。当時「日展」等色々な展覧会を観ていまして、東京都美術館に出品したくて100号の大作に挑み、初入選した時は大変嬉しかったことを覚えています。その後、「光陽会」に所属し、会員として今に至っています。

 【主な作品】
 
昭和62 光陽会展「金剛力士像」出品 木曽山福昌寺奉納
昭和63 光陽会展「気・阿修羅」出品   奨励賞受賞
平成  4 光陽会展「守・阿修羅」出品 奨励賞受賞、寿量寺・安心殿奉納
平成18 光陽会展「凛・阿修羅」出品 鷲田賞受賞 小山田補陀山大泉寺奉納
平成21 彫刻「十一面千手観音」制作

他に、多数の作品があります。
  
気・阿修羅(昭和63) 

凛・阿修羅(平成18)





十一面千手観音(平成21)
 

十一面千手観音像(平成6)