2015年4月7日火曜日


                       新年度に向けて        


                                                 調布・狛江 ASUKA
 
 保護司会の中では、若輩であり恐縮だが、この欄への(投稿)記事も、3回目となる。今回は、私の本来の仕事と、今年度話題になった2つの出来事を活動と重ねてみたい。

私は五十歳過ぎで、現役で働いている。大手予備校が7割超の校舎を閉鎖するのと、大手有名家具店のお家騒動のニュースが、私の会社の姿と重なって見えてくる。
 
私の会社は、先代の社長から現社長が引き継いだ時点で約20店舗あった。現在は2店舗と外商部のみとなっている。この経験から、大手予備校の校舎の閉鎖は多くの困難を伴ったであろうことは容易に想像できる。そして予備校も弊社も、会社の将来を考えた時、英断であったと信じたい。弊社も厳しい状況を乗り越え、創業50年何とか存続している。かつての本業部門の売り上げは大きく減少し、その他の部門の売り上げが圧倒的に増えた。弊社の後継者となるであろう3代目は、これまでの価値観とは異なり、さらに新たなビジネスモデルへ方向転換を目指している。有名家具店との違いは、弊社の2代目社長が革新的な女性であり、新しい経営ヴィジョン的なものに対する免疫ができていたため、3代目のさらなる革新的かつ自由さを受け入れる土壌ができていることか。
 
さて、保護司会の活動でも、根底にある、対象者への思いやりと愛情は決して変わることなくあり続ける。しかしながら、その表現方法は時代とともに姿を変えてくるのではないか。私の場合、対象者とのやりとりは、lineが主流となり、メールでさえ、ほぼ使わなくなり、彼らについては、部分的にfacebooktwitterなどのSNSで生活状況や雰囲気を確認している始末である。また通話(生の声を聞くこと)は月に数えるほどで、時には、単語だけに近い状態でのネットでのやり取り、時には絵文字のみになっている。(仕事上)中学生や高校生のlineのグループにも入っているし、時には彼らのグループ内でのやりとりを見せてもらい、その危うさを将に身をもって感じている。こうした方法に対するご批判等は別の場所で頂くことにするが、対象者の状況把握には、双方にとって便利なツールであることに間違いない。
 
個人の生活(保護司活動)の中では、違った新しいものを取り込みながら、会社では新たなビジネスモデルを、自分勝手な3代目と否定するのは、自身の狡さや、自分勝手なご都合主義を感じ、居心地が悪い。若者については理解できない部分も多々あるが、次世代の感覚として大きく期待する。

今年度も終わりいよいよ花見のシーズン。こればかりは、ネット上で写真・動画やコメントを見ても全く味気ないが、将来は、画面から花びらが舞い散るようになるかもしれない。

 


 謎の迷路にはまる推理小説『シンデレラの罠』  


                                    ~犯人については暗示だけ!~ 

                                ~事件の真相解明は読者にお任せ?~

                                          府中地区保護司会   大沢 美保子

 保護観察所から送られてくる関係書類を読むなど保護司の仕事をしていると、実際に起こった事件や犯罪がリアルに浮かび上がってきて、多少とも気が重くなる時がある。そうした際、海外の小説を原書(英語・仏語)で読むことは、私にとって返って気分転換になるのだ。もちろん、辞書を引きながら時間もかかるし、最初の第
1章で苦戦することも多いのだが、微妙なニュアンスの違いなど楽しめるし、何より新しい世界が開ける感じが好きだ。
  ここ数年の間で一番印象に残っているのは、フランスミステリーの名作といわれる『シンデレラの罠』(セバスチアン・ジャプリゾ作)だ。本の裏表紙に書かれた謎めいたキャッチコピー「私はこの事件の探偵であり、証人であり、被害者であり、犯人なのです」に始まり、読者からは、読めば読むほど「誰が犯人かわからない」との感想が続く作品だ。娘からフランス語で読んでみればと勧められたのをきっかけにして、全く予備知識なしで原書に取りかかったのだが、まず目次を見て度胆を抜かれた。フランス語は、時制や人称による動詞の語形変化が複雑で難しいのだが、目次に載っている7つの章の見出しが全部、殺す(assassiner)という動詞の変化になっているのだ。
例えば:J’assassine(私は殺す)  J’ai assassiné(私は殺した)・・・




Piège pour Cendrillon
  「ミ」「ド」「ラ」の愛称で呼ばれる3人の娘と「ミ」の伯母(名付け親のミドラおばさん)が登場する。「ラ」は若くして亡くなり、「ミ」と「ド」を中心に話が展開する。だが、二人は火事にあい、一人は死に、もう一人は大やけどのため顔にひどく損傷を受け、全く別人のようになってしまう(50年も前の話なので、今のような科学的捜査はない)。記憶喪失のため、自分がだれなのか、「ミ」それとも「ド」なのか、そして、こうした事故は誰の陰謀なのか疑問や自問自答が続くうち、殺人事件が起こる。『シンデレラの罠』という日本語の訳本だと、シンデレラが仕掛けた罠なのか、シンデレラに対する罠なのかわからないが、フランス語でみると、シンデレラへの罠であり、この表題は重要な暗示を持つようだ。

<童話の「シンデレラ」との比較>
「ミ」は大変美しく、生みの母は亡くなっている。メルヘンの物語と比べると、伯母は継母の位置を占める。時計屋の仕事とか、時計の音なども出てくる。伯母は靴の製造で大金持ちになり、「ミ」も「ド」もそのをもらってはいている。

いくつかのキーワードから推測すれば、「ミ」がシンデレラかもしれないが、「ド」はシンデレラになることを夢見ていたと思われる。色々なことが錯綜していて、フランス語で読んでも犯人を決めかねるのだが、私なりの推理では、皆からシンデレラと思われていた娘とシンデレラになりたかった娘二人への罠ではないかと思える。


 作者が犯人を暗示にとどめ、読者に事件の真相を自由に考えるよう仕向けるとは、いかにもフランス的だなと感心した。また、やけどをした手には、いつも白い手袋がはめられているのだが、昨年大ヒットした「アナと雪の女王」(原題:FROZEN)でも手袋はとても大切な意味を持っていた(女王エルサが手袋をはずすと、瞬く間に氷の世界になってしまう)。一人の人間の内には無数の自我が存在しているともいわれるが、4月下旬にディズニ―映画「シンデレラ」が公開される予定なので、この映画も参考に謎解きを深めたい。

 
 <ご参考> 「シンデレラの罠」セバスチアン・ジャプリゾ作 平岡 敦訳
                                                               創元推理文庫

       Piège pour Cendrillon  Sébastien Japrisot, folio policier
 


~秩父霊場三十四観音巡礼と私~         
                        八王子地区東分区 秋山重男

 平成26年甲午年・秩父札所総開帳。開創は文暦元年(1234年)甲午3月18日とされ、そこから12年毎の午年に総開帳が行われています。
 私は、12年前の総開帳にはご朱印帳を持って、今回は掛軸を持ってこの巡礼になりました。秩父三十四観音は、坂東三十三観音,西国三十三観音と共に日本百観音に数えられています。

  一番札所「四萬部寺」から三十四番札所結願「水潜寺」まで、札所順に参拝すると、約110キロメートルの距離です。街中から奥山まで自然豊かな風土の中に札所は点在しています。私も一番札所から札所順の参拝となりました。
 巡礼者は、老若男女を問わず、服装もそれぞれですが、心は皆一つであると感じています。巡礼の札所も前へ進むにつれ、秩父の山懐に入っていき、「熊注意!」の看板もあります。私もシカ、サル、テンにバッタリ逢いました。
 今回の巡礼を通して、出会った方々、出会った動植物、万物の精霊が私の心の中に素直に受け入れることが出来たと思っています。巡礼の方々は、それぞれの思いで発願し、秩父路へ来られたのでしょう。しかし、老いも若きも皆さんのお顔は平穏で、世の中もすべて平穏であって欲しいものとも思いました。
 本年は、2回目の坂東巡礼の旅に出立します。対象者の心も、皆平穏であるように祈りながら・・・  合掌




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