2017年9月25日月曜日

国宝仏の誕生に想う

                                                調布狛江地区 林田堯瞬

 去る3月10日、調布狛江地区のシンボルともいえる古刹深大寺に所蔵される「銅造釈迦如来倚像(通称:白鳳仏)」が、国宝に指定されました。


 7世紀後半の飛鳥時代後期(美術史上の区分では白鳳時代)の制作であると推定され、少年を思わせる明るい表情と、衣が流れるように美しく表現されたその作風から、法隆寺の国宝夢違観音や、盗難で現在行方の知れない新薬師寺の重要文化財香薬師と同じ工房で鋳造された可能性が高く、この三仏は白鳳時代を代表する名品とされ「白鳳三仏」と称されております。  東京都内には2,868の寺院があり、寺院に伝来する仏像としては、初めての国宝仏の誕生となりました(寺院以外では港区大倉集古館所蔵の木造普賢菩薩騎象像が国宝指定)。また、関東においても、寺院伝来の国宝仏は鎌倉の大仏様に次いで2例目の指定となり、制作年代でいえば東日本最古の国宝仏となります。
この慶事に、市を挙げて慶祝ムードに包まれ、駅前や商店街にはお祝いのフラッグが掲げられております。

 
   深大寺の白鳳仏の最大の特徴は、椅子に腰を掛けた「倚座(いざ)」の大変珍しいお姿であり、お釈迦様が説法をしている姿ともいわれております。
 お釈迦様の法門(教え)は8万4千ともいわれ、その人個々の器に応じた数だけの教えがあります。仏と人間の違いは、よく水と氷に喩えられ、器の形に応じて変幻自在に姿を変え、隙間なく水を満たすのが仏。自我という氷に固まり、自分という器にしか収まることが出来ないのが人間。仏は、その人の器の形に応じ教えを説いてくださる。しかし水と氷の成分は何ひとつ変わりありません。
 “仏も昔は凡夫なり、われらも終には仏なり。いずれも仏性具せる身を隔つるのみこそ悲しけれ” 平家物語
保護司の活動にも相通じるところがあります。その人の個性に応じ水のように接し、氷を解かすが如く温かな心で寄り添う。そんな人でありたい。
 
 
 

 
 

2017年8月7日月曜日

対象者から学ばせていただく保護司活動

                                                               北多摩北地区保護司会 西東京分区 永澤清子 

 生活の一部となっている保護観察の仕事は毎回初めての出会いから始まります。担当者も対象者も初めての出会いに、ドキドキしながら何も分からない手探り状態の中で、この先どのような面接をしていけば更生の道を見つけられるのかと考えて話を進めていきます。

これまで長い保護観察になりますと私の場合は、4年以上も毎月2回の面接を行いました。最初はお互いにぎこちない会話から入り、その人の犯した事について、何故そのようになったのか、そして刑が決まり、更生の道を進み、反省を促し、今後どうしたら今までと違う道を歩けるのか等、未来について充分本人が納得できるまで話すことができるのですが、時間が経つにつれ、犯罪の話ばかりしていても仕方がないので、いろいろ世間話もするようになり、家族の事、テレビ、新聞等の話題にもなります。

そのような会話の中から、対象者の出生や育ってきた生活環境、習慣、周りの人達との出会いによって人格が作られていくのだということを実感させられました。対象者一人ひとりそれぞれに多種多様な事情があり、二つと同じ状況というのはありませんでした。対象者との関わりはどんな時にも学ぶことがあり、その中から得るものも多く、保護司として何一つ無駄はなかったと感じています。このように今でも慣れるということはありませんが、おかげさまで毎回様々なケースに接する中で成長させて頂いております。

担当した少年が「勉強は大嫌い、働くのも嫌」なんて言うので「人間は病気の人以外は働くか、勉強するために学校へ行くかどちらかを選ぶのよ」と私が言うと「えーなんで」と言いながら「選ばなきゃあいけないの」と言い最後には「じゃあ学校へ行く」と言いました。何でこんな正直で可愛くてピュアな子が罪を犯したのかと不思議に感じるような子どもでした。あんなに勉強が嫌いだったその子も大学生になりました。

人間は何かのきっかけで生き方が変わることもあるのです。この現実を目の当たりにすると「ああ、保護司もいいのかなあ」とひと時思い、そしてまた悩む日々が始まります。

2017年7月5日水曜日

祭り~大きな更生事業

                      府中地区 小澤 量

 府中には、五月三日~六日に行われる通称「くらやみ祭り」があります。起源を国府時代に持ち歴史的にも深く、参加者も府中のみならず、三多摩一円さらには23区西部・埼玉・神奈川にまで拡がる日本でも有数の祭りだと氏子衆は自負するものです。


 くらやみ祭り  (府中観光協会HPより)
 かつては、荒々しい祭りでしたが、今では女性も参加できる祭りになっており、旧住民のみならず、新住民も参加できる体制を志向する町内も増えております。

 さて、くらやみ祭りのような規模のお祭りでは、祭りのための時間的金銭的負担も大きく、場合によってはケガもします。それでもなぜ、祭りに参加するのか?結局は、人との関わりではないでしょうか?

 くらやみ祭り(神輿)前列左端が筆者
 私の町内でも、マンションの方を誘い、その後、その方たちが町会役員、老人会役員になっていただくケースが多くなっています。一度でも府中のような密度の濃いお祭りに参加すると、理屈損得を超えた一体感を持てるようになるからだと思います。

 さて、保護司的観点から祭りを見ると、青少年と町との関わりに気が付きます。特に、やんちゃが過ぎ、将来に不安を感じる子ほど、昔は祭りに出ました。その後、道を踏み外す人もいました。しかし、それでも祭りには帰ってくるのです。

 祭りに出れば、顔も素性も知られます。先輩や両親・祖父母の代の方との付き合いもあります。そうやって、町の中での自分の立ち位置や役割ができます。外部の視線も気になります。一人ではなく、様々な関係の中で生かされている、このように感じることもできます。

 「府中の祭りは大きな更生事業」と説明してくれた元高校教師もいました。そのような祭りを先人たちが守り続けてきてくれたことに感謝しないではいられません。