2015年1月30日金曜日


                       「希望を持てる幸せ」


                    北多摩北地区 西東京分区 郡楽道和
 
東日本大震災が発生当初より、私は宮城県や福島県へ幾度も足を運び、現地のお手伝いをしてきました。201410月、宮城県亘理郡山元町で今も復興活動に従事するNPO法人「未来へ向かってたすけ合い」の依頼を受けて、仲間数人と協力し、ナガワ仙台工場内応急仮設住宅(宮城県山元町)で、うどんの炊き出しをおこないました。少しでも、ふれあいの時間を持てればと考え、うどん200食を用意し、車3台で山元町に向かいました。

仮設住宅では、高齢者ばかりが残り、若い人は仕事を求めてこの地を離れる人が多く、訪れるボランティア団体も減り、炊き出しもされなくなり、部屋に引きこもる高齢者が多いとのことでした。確かに仮設住宅は空き家が目立ち、高齢者がばかりが黙々と食べる姿には、こちらが声をかけるのさえ躊躇されるほどでした。

私は、集会所まで来ることが出来ない人のために、うどんの配達を引き受けました。そんななか、とても元気な足の具合が悪い高齢の女性に出会いました。配達に行ったとき、なにやら忙しそうで、今日もこれから出かけるとの事です。彼女は、津波で家屋など全財産を流されたそうです。けれども、表情は生き生きとして、「私ね、今が一番幸せなの」と言うのです。私は、その言葉に驚き、「本当ですか?」と、思わず問いかけてしまいました。曰く「震災前は、家もあって、何の心配も不安もない生活だったよ。でも今が一番幸せなの」と、自信たっぷりの答えでした。震災後、多くの友人が出来、「今日は、こんな活動が市役所であるよ」と迎えに来てくれます。言われれば、すぐに出かけて行くそうです。彼女はボランティア活動をはじめ、さまざまな地域活動に積極的に参加しており、当NPO法人がやっている復興活動、桑茶の製造販売や、カラムシ織という織物製造、農業復興などにも参加しているそうです。

彼女が厳しい避難生活から、普通に生活できることのありがたさを感じているからこその言葉だと私は確信しました。そして生き生きと、明日に希望を持って、また地域の人を思って、復興活動に参加しているからこそ、自信を持って「今が幸せ」と言えたのだろうと思います。

彼女よりも恵まれた環境であろう私自身は、「今を幸せ」と思って過ごしているのだろうか、と自問自答しました。荒涼とした被災地を目にしながら、今は何もなくても「復興」という夢があることを感じました。さまざまな考えを巡らせる中、地域のための保護司活動、この活動には、「社会奉仕の精神」という志と「改善更生」という大きな夢がある事を再確認しました。

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