2015年12月6日日曜日



                  芋づる式読書ノートから

                     府中地区保護司会 杉浦 渉

今年の夏の初めは雨が多かった。おかげで少しまとめて本を読むことができました。始まりは、古本屋で偶然見つけた一冊からでした。

『少年死刑囚』(中山義秀著/池田浩士解説/2012インパクト出版)は、中山の小説が素材提供で池田の解説が本書のテーマでした。死刑と無期では刑罰として大きな開きがあると、犯罪被害者・遺族にはもちろん一般にも受け止められているが、はたして本当にそうだろうかと問いかけています。死刑の存廃論議にかかわってくる、ほんとに重たい問題です。

この本が呼び水となって、加賀乙彦の『宣告』(1982新潮文庫)を手にしました。死刑という制度を、当の死刑囚自身の目から照射するとどう見えるかという問題を提起した小説。著者のもう一つの顔である精神医学者・小木貞孝の『死刑囚と無期囚の心理』(1974金剛出版)に取り上げられている事例が、『宣告』の人物群のモデルになっています。専門的な学術書の方はほとんど拾い読みでしたが、それでも事例の医学的な記述とフィクションの物語仕立ての対比は自分なりに興味深く読めました。

こうした流れから、ドストエフスキー著/小沼文彦訳『死の家の記録』(1970ドストエフスキー全集第四巻/筑摩書房)にたどり着きました。そのボリュームにとても通読は無理かなと思いつつ、結局は引き寄せられるように読み切ってしまいました。実に詳細に描かれる懲役囚たちの生活、心情、人生のエピソードのひとつひとつが読む者を惹きつけます。帝政ロシア時代の話ながら、流刑地につながれた人々の生への執着の姿は、今に通じる生々しいリアリティをもって迫ってくるようでした。

有罪と無罪、犯罪者と善良な市民、非行少年と健全な青少年、これらの境界線は思っているほど画然とはしていないんじゃないか、人間社会はそんな単純な二分法では語れないんじゃないかと思っている者にとっては、ことのほか有意義な4冊でした。        
 


 
 
 
 
ご恩返しの地域活動
 
町田地区保護司 橋田惠子

私は教員現役時代は相模原市に居住し、地域の子ども会、町会に助けて頂きながら三人の娘を育てました。

55才で退職後、実家の町田市に戻り、今までお世話になった感謝の気持ちを地域に返していきたいと保護司をはじめとして、町内会役員や出身高校の同窓会役員などを引受け、地域住民の力で明るいあたたかな社会を作って行こうと微力ながら活動しております。
 
私の居住する原町田地区と中町の一部が氏子となっているのが町田天満宮です。1年に1度の例大祭では神輿渡御(みこしとぎょ)が行なわれます。町田駅近くの繁華街を多くの神輿が巡幸する原町田地区では最大のイベントとなります。宮神輿は氏子町内会によって受け渡されてゆく「町内渡し」という形式で行なわれています。各町内会の区域は、割り当てられた氏子町内会の半纏で担ぎ、宮出しと宮入りは、各氏子町会の代表者により静かに厳粛に奉仕されます。また、宮神輿とともに各町内神輿も出されます。私の所属する町内会では担ぎ手すべてが女性という「女神輿」という形で町内神輿を出しています。

町内渡しの宮神輿、町内会の女神輿、ともに担ぎ手の確保は至極重要です。町内会、子ども会だけではなく、他地域の知人友人にも声をかけて協力を仰ぎます。私も孫のサッカーチームの保護者や娘の友人などへ毎年20数名に声掛けをしています。そのメンバーには神輿の集合時間より早めに自宅に集合してもらい、ヘアメイクなどをお互いに実施しあって、ビシッと美しく(?)決まった姿で神輿に参加してもらっています。また、お神輿後は我が家で打ち上げを実施するのも若いパワーから元気をもらえるので、私の楽しみになっています。

女神輿はなかなか地域でも好評で、年々盛り上がってきております。

年齢制限はないので(笑)、ご興味ある方はご連絡お待ちしております。



 
 
 
 

2015年11月3日火曜日


           心に残った講演会


北多摩東地区保護司会  国分寺分区 坂 田 米 子

 先日参加した関東地方保護司代表者協議会で、ある講演を聞く機会があった。講演者は作家・エッセイスト(私立豊川高校教師)宮本延春氏で、タイトルは「人は、その人だけで大切な存在」というものだ。 
  宮本氏は小からいじめを受け勉強も学校も丸ごと嫌いになり、中学1年の一学期の成績表はオール1、中学卒業時は音楽と技術だけが2で他はすべて1というありさまで、掛け算九九はの段まで、漢字は自分の名前が書けるだけ、英語はooしか書けない状況であった。「自分は勉強をやってもできない、正真正銘のバカなんだ。」と思い込んでしまう。中学校を卒業したときの歓びは、「これで学校に行かないで済む。」という思いだけであった。
  高校進学をあきらめ、工務店で大工の見習いとして働くようになるが、親方から口で言うより先に手を出す扱いを受け、強い不満をもつようになった。そんな中、16歳で母を、18歳で父を亡くし、天涯孤独の身となる(小4のときに父から養子であることを知らされていた)。しかしながら、中学時代から始めた少林寺拳法で国際親善試合に出場できたことで「自信」をもち、また、音楽仲間と知り合い、バンド活動で「音楽」に楽しみを見い出していった。「一生この不満だらけの会社で働いても、満たされる日は来ないだろう。やらなかった後悔だけは絶対したくない」との決心で工務店をやめ、音楽活動に力を注ようになるが、収入は途絶え、極貧の生活を過ごす。
  バンド仲間から豊川市にある渋山建設という会社を紹介されこの会社で働いたことが運命を大きく変えることになる。会社の社長や専務から、親身に接してもらい、人して大事にしてもらった。「大切にしてくれた人は大切にしたい。社長のために働きたい。仕事で恩をかえそう。真剣に仕事をしよう。」と「働くことの楽しさ」を知り、音楽は趣味として楽しむものに変わっていった。そして、この渋山建設で正社員となり、初めて健康保険証をもつことができ経済的にも安定した生活を送れるようにな
  さらに、少林寺拳法の道場で知り合い、後に妻となる女性から一本のビデオテープ「NHKスペシャル アインシュタインロマン」を借りて、それを見た瞬間に新たな人生のスイッチが押された。「アインシュタインロマン」に強い感動を覚え、物理学に興味をもつようになると、勉強がしたくなり、大学進学を目指すことになる。
  まずは、高校入学に向けて猛勉強し24歳の高校生になる。高校に入学すると、理学部のある名古屋大学を目指して、寝食を忘れて不撓不屈の精神で勉強に打ち込んだ。この間、高校の担任、数学担当、校長をはじめ多くの先生方からきめ細やかな配慮を受け、数学の先生は、夏休み中でも送られてくる数学の解答に応えたり、夜12時頃まで補講をしてくれる等勉強のキャッチボールが行われた。こうして、27歳の名古屋大学物理学部物理学科の学生が誕生した。
  大学卒業後はさらに大学院に進み、それからの人生を考える、自分ならいじめられっ子の気持ちも、劣等生の気持ちも、生活の辛さもわかる教師になれるのではないかと思うようにな。いじめに苦しみ、勉強ができずに悩んでいる子ども達に手を差し伸べ、夢や目標をもつ手助けをしたい。豊川高校で先生方から受けた恩を、教育の現場で返していくことがこれからの自分の道であると考えるようになり、母校の豊川高校の数学の教師として教壇に立つことになった。
  以上のように、講演内容は講師の人生のその時々の気持ちをありのままに吐露するもので、保護司として対象者に対する姿勢、また、一個人として人生を送る上でも示唆に富むものであった。
  講師は、前述のようにつらい状況にありながらも、逆境の半生が感じられない快活、爽やか、前向きな考えの持ち主との印象を受た。しかし、渋山建設の社長や専務との出会いについて話す時には目を潤ませていた。そして「人と人との出会いの大切さと目標を持ちそれに向かって努力することの大切さ」を説いてい
  保護司として、対象者に接する際には、毅然とした態度とともに、対象者に寄り添い包み込むような包容力を持ち合わせる事が大切だ。理想ではあが、対象者にとって「この保護司と出会えてよかった。生きる目標がつかめた。」と思ってもらえるような存在でありたいと感じた。

 
   私と水彩

日野・多摩・稲城地区 伊野光雄

緑一色だった山々も、秋の深まりと共に色づき始めました。スケッチブックを持ち自然の中で、のどかなひと時を過ごせたら楽しいだろうと想像を巡らせています。

昔から絵に興味があったわけでなく、50代過ぎ頃年老いてからの趣味の一環に何かをと思っていたころ、身近なところで絵画展など開催されている処に足を運ぶようになり、書店で絵画への手引きなる本を読んだりし、少しずつ絵の魅力に魅かれていった感じです。

同好会のサークルに入り指導を受けた経験もなく自分よがりに描いています。最近我流からの脱出を目指していますが、中々それが出来ないでいる。ここに来て改めて基礎知識の大切さを身に染み感じています。

絵になりそうなスポットの情報を得て赴くと、早くから陣取って人目も気にせず堂々と写生に没頭している人々の姿に圧倒され、簡単なスケッチをしてカメラ撮影をして帰ってくる情けなさです。これも自信のなさが災いしている一面です。

そのような状況で描いた絵を紹介します。

 

こもれびの径

田舎の風景
 
 

晩 秋
涼  風

2015年9月5日土曜日


坂東三十三観音巡り

 
                                   北多摩北地区(小平分区) 山本 真理子

 
平成26年9月28日、御嶽山が噴火した日に、第1回が始まり、月1回を11回かけて、平成27年7月9日で結願を迎えました。毎回先達を勤める方々の説明、参加者の日常的会話が参考になり、とても役立つことが多くありました。

 三蔵法師が天竺へ修行に行く途中で、池にはまっていた老人を助ける。老人は命を助けてもらったお礼にと「おまじないを持っていくがよい」と言葉を授けた。その言葉が般若心経の中にある。

羯諦(ぎゃーてー)羯諦(ぎゃーてー)波羅羯諦(はーらーぎゃーてー)波羅僧羯諦(はーらーそうぎゃーてー)菩提薩婆訶(ぼーじーそわかー)

この一節にはすごい力が秘められている。旅を続けていた三蔵法師の前に魔物が現れ、おまじないを唱えてみると、魔物は退散してしまった。

 先達さんは、私たちに「何かで心が波打ったら唱えてみてくださいね」と話されました。

2015年8月9日日曜日


子どもの貧困対策


                                    調布・狛江地区保護司 酒井淳 


 先日、分区の自主研修で調布市子供生活部山本雅章部長に子供の貧困について講義をいただいた。報道では、かつて一億総中流といわれた日本社会の中で格差が広がっているという現状を「格差社会」という言葉を用いている。この研修を通し現実の深刻さと、その現状を受けた行政の施策について、認識を深めることができた。
 
 日本の貧困率はOECD諸国の中でメキシコ、トルコ、アメリカに次ぎ4番目に高く、また現役世代の貧困率16.3であるのに対し、一人親世帯の貧困率はさらに高く56.5にもなるという。この調査を受け政府は「子どもの貧困対策」を策定して貧困の連鎖を防ごうとしている。
 
 日本の母子家庭の就労率はアメリカ・イギリス・ドイツに比べ高いが、その内実は低賃金長時間労働のため、育児の時間にかける時間は二人親と比べ少なく、当然子どもの生活にも影響を与えている。また収入と学力や自己肯定感にも相関関係が認められるという。
 
 たとえば子どもが学校の友達とテーマパークに遊びに行くという話がでても、一日でも多くの費用がかかるため行くことができない。そのように経済的状況の中で阻害されがちな児童に、調布市では青少年ステーション、児童館、NPOなどと連携をとりながら、居場所づくり、成功体験、繋がりをどう創るかという課題に取り組んできた。
 
 さらに政府の施策を受け、学習支援の場を市が設置する準備をしているとのこと。その学習支援は単なる無料学習塾に止まることなく、親の相談も含めて幅広く総合的な支援の場をとしていきたいという。
 
 先行して学習支援を行っている相模原市では、学生のボランティアが大勢入り、学生が子どもと接して行く中でたじろいだり、試行錯誤しながら共に学びあっている。ボランティアの学生たちも確実に誰かのために働くことの歓びをもらっているという。
 
 新たな市の取り組みが社会的資源として機能することを期待するとともに、保護司として、また近所のおじさんとして、現状に向き合っていきたいと思う。

2015年6月11日木曜日


                  「ナイロビ通信」を見て

                   北多摩北保護司会東久留米分区   鈴木敬子

 アフリカと神戸俊平友の会発行の「ナイロビ通信15年春号」が届きました。
 神戸俊平さんは中学時代の同窓生で、日大農獣卒業後ナイロビに渡り、新たに免許を取得し獣医としての傍ら野生動物保護にも尽力するとともに、アフリカの今を発信しています。
 
昨今のアフリカ・サバンナでは乾期が長く続き、動物の工サになる草等がなく飢餓の状態が続いたが、昨年末頃から東アフリカでは少し雨が降り始め生活も安定してきました。餓死した反勿家畜の病理解剖をすると第四胃からビニール袋が細くなって大量に出てくるそうです。空腹の家畜や野生動物は草類を求めながら捨てられた包装用ビニール袋も食べてしまい、消化機能の障害からやせ細り、死亡してしまいます。ゴミ問題はどこでも深刻なようです。
 
  また、裸足で歩く子供たちが多く、スナダニが足のつま先、特に爪の間に寄生し病気になります。子供たちに靴を履かせるために、日本からも東日本大震災で水を被って売り物にならない靴がケニアに届けられました。しかし中古の靴や衣服も輸送費や関税がかけられます。今回は政府ジャイカの業務代行により無料で届けることができたそうです。 
 
  西アフリカ四カ国を中心に流行が始まつた工ボラ出血熱はその後、感染は減りました。アフリカでは葬式の習慣で体を洗浄して埋葬することから、感染者の遺体に直接触れることで工ボラに感染するようです。感染国には多額の医療対策サポー卜がされましたが、収束後これらの対策機能が継続されるか問題だとしています。

 テロについても、ケニア北部ガリッサという町でアルカイダ系アルシャバーブによるキリス卜教系大学生の大量殺害がありました。邦人の間でも不安が募り、現地大使館からの警戒メールは日々警戒度を上げているそうです。

 日本から遠く離れたアフリカからの通信。日本人が海外で活躍することはもはや当たり前のこととなっています。グローバル化することは必要なことだと思いますが、この地に踏みとどまって何かを見つけて活かすことも必要な事と考えます。自身の回りの中で何かを見つけて活かし続けられる事の大切さを伝えていければと考えています。

2015年4月7日火曜日


                       新年度に向けて        


                                                 調布・狛江 ASUKA
 
 保護司会の中では、若輩であり恐縮だが、この欄への(投稿)記事も、3回目となる。今回は、私の本来の仕事と、今年度話題になった2つの出来事を活動と重ねてみたい。

私は五十歳過ぎで、現役で働いている。大手予備校が7割超の校舎を閉鎖するのと、大手有名家具店のお家騒動のニュースが、私の会社の姿と重なって見えてくる。
 
私の会社は、先代の社長から現社長が引き継いだ時点で約20店舗あった。現在は2店舗と外商部のみとなっている。この経験から、大手予備校の校舎の閉鎖は多くの困難を伴ったであろうことは容易に想像できる。そして予備校も弊社も、会社の将来を考えた時、英断であったと信じたい。弊社も厳しい状況を乗り越え、創業50年何とか存続している。かつての本業部門の売り上げは大きく減少し、その他の部門の売り上げが圧倒的に増えた。弊社の後継者となるであろう3代目は、これまでの価値観とは異なり、さらに新たなビジネスモデルへ方向転換を目指している。有名家具店との違いは、弊社の2代目社長が革新的な女性であり、新しい経営ヴィジョン的なものに対する免疫ができていたため、3代目のさらなる革新的かつ自由さを受け入れる土壌ができていることか。
 
さて、保護司会の活動でも、根底にある、対象者への思いやりと愛情は決して変わることなくあり続ける。しかしながら、その表現方法は時代とともに姿を変えてくるのではないか。私の場合、対象者とのやりとりは、lineが主流となり、メールでさえ、ほぼ使わなくなり、彼らについては、部分的にfacebooktwitterなどのSNSで生活状況や雰囲気を確認している始末である。また通話(生の声を聞くこと)は月に数えるほどで、時には、単語だけに近い状態でのネットでのやり取り、時には絵文字のみになっている。(仕事上)中学生や高校生のlineのグループにも入っているし、時には彼らのグループ内でのやりとりを見せてもらい、その危うさを将に身をもって感じている。こうした方法に対するご批判等は別の場所で頂くことにするが、対象者の状況把握には、双方にとって便利なツールであることに間違いない。
 
個人の生活(保護司活動)の中では、違った新しいものを取り込みながら、会社では新たなビジネスモデルを、自分勝手な3代目と否定するのは、自身の狡さや、自分勝手なご都合主義を感じ、居心地が悪い。若者については理解できない部分も多々あるが、次世代の感覚として大きく期待する。

今年度も終わりいよいよ花見のシーズン。こればかりは、ネット上で写真・動画やコメントを見ても全く味気ないが、将来は、画面から花びらが舞い散るようになるかもしれない。

 


 謎の迷路にはまる推理小説『シンデレラの罠』  


                                    ~犯人については暗示だけ!~ 

                                ~事件の真相解明は読者にお任せ?~

                                          府中地区保護司会   大沢 美保子

 保護観察所から送られてくる関係書類を読むなど保護司の仕事をしていると、実際に起こった事件や犯罪がリアルに浮かび上がってきて、多少とも気が重くなる時がある。そうした際、海外の小説を原書(英語・仏語)で読むことは、私にとって返って気分転換になるのだ。もちろん、辞書を引きながら時間もかかるし、最初の第
1章で苦戦することも多いのだが、微妙なニュアンスの違いなど楽しめるし、何より新しい世界が開ける感じが好きだ。
  ここ数年の間で一番印象に残っているのは、フランスミステリーの名作といわれる『シンデレラの罠』(セバスチアン・ジャプリゾ作)だ。本の裏表紙に書かれた謎めいたキャッチコピー「私はこの事件の探偵であり、証人であり、被害者であり、犯人なのです」に始まり、読者からは、読めば読むほど「誰が犯人かわからない」との感想が続く作品だ。娘からフランス語で読んでみればと勧められたのをきっかけにして、全く予備知識なしで原書に取りかかったのだが、まず目次を見て度胆を抜かれた。フランス語は、時制や人称による動詞の語形変化が複雑で難しいのだが、目次に載っている7つの章の見出しが全部、殺す(assassiner)という動詞の変化になっているのだ。
例えば:J’assassine(私は殺す)  J’ai assassiné(私は殺した)・・・




Piège pour Cendrillon
  「ミ」「ド」「ラ」の愛称で呼ばれる3人の娘と「ミ」の伯母(名付け親のミドラおばさん)が登場する。「ラ」は若くして亡くなり、「ミ」と「ド」を中心に話が展開する。だが、二人は火事にあい、一人は死に、もう一人は大やけどのため顔にひどく損傷を受け、全く別人のようになってしまう(50年も前の話なので、今のような科学的捜査はない)。記憶喪失のため、自分がだれなのか、「ミ」それとも「ド」なのか、そして、こうした事故は誰の陰謀なのか疑問や自問自答が続くうち、殺人事件が起こる。『シンデレラの罠』という日本語の訳本だと、シンデレラが仕掛けた罠なのか、シンデレラに対する罠なのかわからないが、フランス語でみると、シンデレラへの罠であり、この表題は重要な暗示を持つようだ。

<童話の「シンデレラ」との比較>
「ミ」は大変美しく、生みの母は亡くなっている。メルヘンの物語と比べると、伯母は継母の位置を占める。時計屋の仕事とか、時計の音なども出てくる。伯母は靴の製造で大金持ちになり、「ミ」も「ド」もそのをもらってはいている。

いくつかのキーワードから推測すれば、「ミ」がシンデレラかもしれないが、「ド」はシンデレラになることを夢見ていたと思われる。色々なことが錯綜していて、フランス語で読んでも犯人を決めかねるのだが、私なりの推理では、皆からシンデレラと思われていた娘とシンデレラになりたかった娘二人への罠ではないかと思える。


 作者が犯人を暗示にとどめ、読者に事件の真相を自由に考えるよう仕向けるとは、いかにもフランス的だなと感心した。また、やけどをした手には、いつも白い手袋がはめられているのだが、昨年大ヒットした「アナと雪の女王」(原題:FROZEN)でも手袋はとても大切な意味を持っていた(女王エルサが手袋をはずすと、瞬く間に氷の世界になってしまう)。一人の人間の内には無数の自我が存在しているともいわれるが、4月下旬にディズニ―映画「シンデレラ」が公開される予定なので、この映画も参考に謎解きを深めたい。

 
 <ご参考> 「シンデレラの罠」セバスチアン・ジャプリゾ作 平岡 敦訳
                                                               創元推理文庫

       Piège pour Cendrillon  Sébastien Japrisot, folio policier
 


~秩父霊場三十四観音巡礼と私~         
                        八王子地区東分区 秋山重男

 平成26年甲午年・秩父札所総開帳。開創は文暦元年(1234年)甲午3月18日とされ、そこから12年毎の午年に総開帳が行われています。
 私は、12年前の総開帳にはご朱印帳を持って、今回は掛軸を持ってこの巡礼になりました。秩父三十四観音は、坂東三十三観音,西国三十三観音と共に日本百観音に数えられています。

  一番札所「四萬部寺」から三十四番札所結願「水潜寺」まで、札所順に参拝すると、約110キロメートルの距離です。街中から奥山まで自然豊かな風土の中に札所は点在しています。私も一番札所から札所順の参拝となりました。
 巡礼者は、老若男女を問わず、服装もそれぞれですが、心は皆一つであると感じています。巡礼の札所も前へ進むにつれ、秩父の山懐に入っていき、「熊注意!」の看板もあります。私もシカ、サル、テンにバッタリ逢いました。
 今回の巡礼を通して、出会った方々、出会った動植物、万物の精霊が私の心の中に素直に受け入れることが出来たと思っています。巡礼の方々は、それぞれの思いで発願し、秩父路へ来られたのでしょう。しかし、老いも若きも皆さんのお顔は平穏で、世の中もすべて平穏であって欲しいものとも思いました。
 本年は、2回目の坂東巡礼の旅に出立します。対象者の心も、皆平穏であるように祈りながら・・・  合掌