2022年7月17日日曜日

治水事業と地域社会

                     調布・狛江地区保護司会 柿澤正夫

 私の故郷は、木曽三川が伊勢湾に流れ込む三重県桑名市です。木曽川、長良川、揖斐川がほぼ直線的な川筋を作って伊勢湾に流れ込む姿は雄大です。しかし、この3本の川は江戸時代には川筋が入り乱れ、支流、分流が多くあり、そこに輪中(農業や住居となる土地を堤防で囲った地域)と言われる地域が多くありました。輪中地域は,例えば上流地域で堤防を強固にすると大水が出たときに下流地域の輪中の堤防が切れるなど、地域間の対立が絶えませんでした。江戸時の農民はこの時期盛んに訴状や提訴を治水担当の旗本や幕府に提出しており、その文書が何万通と残っており研究者の研究が進んでいます。

 輪中間の対立が解消されたのは、明治に入りオランダから招いた技士の指導で三川が分流され、川筋もできるだけ直線的に改められてからです。しかし、ここでも多くの人々が立ち退きを余儀なくされ、現在の名古屋市の北区と東区を合わせた広さの地域で立ち退きが強制されました。北海道に移住した村もあります。

 昔は各輪中が自らの利害を主張して対立していたのが、大きな犠牲を払ったとはいえ、その対立が消え、輪中に暮らす人々の連帯が生まれ、水害予防組合や消防団等の住民組織で治水が進められています。しかし、ここでもまた地域の高齢化や自分中心の利己的な考え方の蔓延でなり手がだんだん数なくなっています。地域で活躍する保護司と同様の問題にぶつかっているのです。

治水事業の伸展の中で、先人が他の地域と対立してでも守ろうとした地域社会、各地域の連帯によって守り抜こうとした地域社会、そうした歴史の中で、今、高齢化等の問題で連帯感が薄れ水害予防組合や保護司のなり手が少なくなっている地域社会をどのように守り抜くのか、真剣に考え直す時期に来ていると思います。