2018年7月18日水曜日

保護司の本来の活動について考えること、皆様はいかが?

八王子地区保護司会広報部長  山田 雅彦

 暑いですね!保護司会の皆様また本ホームページを開いてくださる方の体調はいかがですか。しかし、私達の健康よりも西日本の降雨被害また犠牲者のことを思うと辛くてなりません。きっと皆様も同じお気持ちとお察し申し上げます。私は、八王子市防災ボランティアリーダーの一員なので、被災地に集まるボランティアの方々の姿をテレビで見ていると、すぐにでも駆けつけてその活動のコーディネートを応援したくなります。
 さて、「保護司会」のことも書かなくてはなりません。私は、保護司拝命後5年が経ちます。対象ケースもやや複雑になってきました。同時に「保護司会活動」にも深く関わらなければならなくなりました。これまでは、保護司として対象者の更生と支援に尽くすことが第一と思ってきましたが、豈図らんや!保護司会の職務が俄然増えてきたわけです。これでは正直本末転倒ではと当初は疑念が頭を過ぎりましたが、この保護司会活動も法律に規定された職務であることも理解して、何とかアップアップしながら両方が成り立つように微力を振り絞っているところです。それでも、5年間を保護司会に籍を置きますと、保護司としての位置や基本的な活動について様々な意見・考え方の相違があることが心の中で顕著になってきました。それは以下のようです。
 多くのベテラン保護司にも、現在の保護司はさまざまに手を伸ばし、活動をし過ぎる。何から何まで引き受けて、現状は保護司の業務とあり方を逸脱している。本来の対象者の更生にこそ重点を置くべきだ、と主張なさる人があります。
 しかし、一方では日常の周囲の状況の把握から非行の未然防止を考えて、多くの課題に取り組んでいくべきだと主張される方々もおられます。八王子でも多くのネットワーク会議が横の連携を模索して行われていますが、あまりに課題が多くて関わり方もそれぞれであり、保護司が関わっている会議や方向が十分に機能しているとは思えません。(最近のネットワーク会議で、小学生の子どもに対する心理的DV6年間もそのままであることを知り愕然としました!)
 さあ、この大きな課題にどこからどこまで私が個人として関わっていけるか、保護司としての私の基本的な姿勢が残り5年間で試されそうです。只今、私のライフワークはあの良寛のように子どもとあそぶこと、です。子どもは「未来の宝物」です。上記の追報告と子ども達との楽しい交流は、次回の「つれづれ」でご報告申し上げます。どなたも、しばらくはこの危険な猛暑にお気をつけご自愛下さい。

2018年3月30日金曜日

温もりの距離


北多摩北地区保護司  小平分区 前田保正

 保護観察ということで初めての面接に訪れるまだ若い対象者の心中を慮ってみることから彼との巡り合いがはじまります。楽しく嬉しい気持ちで訪れることはないでしょうね。脛に疵を持つ身の心境は思いも掛けない追及を受けるのではないかと心身開放されないものを引き摺って、まだ何の接触もないうちから早く終わりたい雰囲気を窺わせています。

 ちょっと以前に巡り合った対象者は、毎回の面接は私と密接な連係を取る彼の母親が同行する形式で始まりました。面接の初回から、四か月の間、返答は俯いたまま言葉を発することなく視線も合わさない状態が続き私も困惑の極みでしたしかし対象者が自ら言葉を交わす気持ちになるのを待つことで進展させていましたし、私は君の人生の応援者であるということを毎回様々に語り伝えていました。
   ある時、面接の部屋に我が家に長年飼われている猫が現れ、彼に擦り寄り膝に乗ったところ、彼は笑顔こそありませんでしたが急にちょっと照れ臭そうな表情を見せ、猫の背を撫でながら猫の話題をきっかけに話が進展しました。
  その後の来訪は一人で行うものの遅刻もなく、以前の黙して語らずの姿勢は徐々に和らいでいきました。
  とある面接予定日、待てど暮せど彼は現れません。夕刻、私が自宅庭の樹々に水遣りをしていたところ、背中にトントンと合図、振り向くとそこにワイシャツ姿で汗びっしょりの彼がおりました。今までになかった眼の輝き、落ち着いた声で今朝からの出来事を自ら語り始めました。
  その後の面接は、来訪するとまず猫を撫でながら日常の会話から始まり、好きな食べ物、趣味のこと、家庭のこと、さらには人生や命のことなど一時間の約束時間はあっという間に過ぎるものでした。
  保護観察は解除に至り、解除通知は笑顔と握手で渡しました。その後の彼の消息を知ることは出来ませんが、彼の自宅近所を通る時、人生の無事を祈るのみです

 保護司と対象者との出合いは人と人との温もりの距離の巡り合いとして互いに感謝の出来得るものがあってしかるべきと考えたいものです。

2017年9月25日月曜日

国宝仏の誕生に想う

                                                調布狛江地区 林田堯瞬

 去る3月10日、調布狛江地区のシンボルともいえる古刹深大寺に所蔵される「銅造釈迦如来倚像(通称:白鳳仏)」が、国宝に指定されました。


 7世紀後半の飛鳥時代後期(美術史上の区分では白鳳時代)の制作であると推定され、少年を思わせる明るい表情と、衣が流れるように美しく表現されたその作風から、法隆寺の国宝夢違観音や、盗難で現在行方の知れない新薬師寺の重要文化財香薬師と同じ工房で鋳造された可能性が高く、この三仏は白鳳時代を代表する名品とされ「白鳳三仏」と称されております。  東京都内には2,868の寺院があり、寺院に伝来する仏像としては、初めての国宝仏の誕生となりました(寺院以外では港区大倉集古館所蔵の木造普賢菩薩騎象像が国宝指定)。また、関東においても、寺院伝来の国宝仏は鎌倉の大仏様に次いで2例目の指定となり、制作年代でいえば東日本最古の国宝仏となります。
この慶事に、市を挙げて慶祝ムードに包まれ、駅前や商店街にはお祝いのフラッグが掲げられております。

 
   深大寺の白鳳仏の最大の特徴は、椅子に腰を掛けた「倚座(いざ)」の大変珍しいお姿であり、お釈迦様が説法をしている姿ともいわれております。
 お釈迦様の法門(教え)は8万4千ともいわれ、その人個々の器に応じた数だけの教えがあります。仏と人間の違いは、よく水と氷に喩えられ、器の形に応じて変幻自在に姿を変え、隙間なく水を満たすのが仏。自我という氷に固まり、自分という器にしか収まることが出来ないのが人間。仏は、その人の器の形に応じ教えを説いてくださる。しかし水と氷の成分は何ひとつ変わりありません。
 “仏も昔は凡夫なり、われらも終には仏なり。いずれも仏性具せる身を隔つるのみこそ悲しけれ” 平家物語
保護司の活動にも相通じるところがあります。その人の個性に応じ水のように接し、氷を解かすが如く温かな心で寄り添う。そんな人でありたい。
 
 
 

 
 

2017年8月7日月曜日

対象者から学ばせていただく保護司活動

                                                               北多摩北地区保護司会 西東京分区 永澤清子 

 生活の一部となっている保護観察の仕事は毎回初めての出会いから始まります。担当者も対象者も初めての出会いに、ドキドキしながら何も分からない手探り状態の中で、この先どのような面接をしていけば更生の道を見つけられるのかと考えて話を進めていきます。

これまで長い保護観察になりますと私の場合は、4年以上も毎月2回の面接を行いました。最初はお互いにぎこちない会話から入り、その人の犯した事について、何故そのようになったのか、そして刑が決まり、更生の道を進み、反省を促し、今後どうしたら今までと違う道を歩けるのか等、未来について充分本人が納得できるまで話すことができるのですが、時間が経つにつれ、犯罪の話ばかりしていても仕方がないので、いろいろ世間話もするようになり、家族の事、テレビ、新聞等の話題にもなります。

そのような会話の中から、対象者の出生や育ってきた生活環境、習慣、周りの人達との出会いによって人格が作られていくのだということを実感させられました。対象者一人ひとりそれぞれに多種多様な事情があり、二つと同じ状況というのはありませんでした。対象者との関わりはどんな時にも学ぶことがあり、その中から得るものも多く、保護司として何一つ無駄はなかったと感じています。このように今でも慣れるということはありませんが、おかげさまで毎回様々なケースに接する中で成長させて頂いております。

担当した少年が「勉強は大嫌い、働くのも嫌」なんて言うので「人間は病気の人以外は働くか、勉強するために学校へ行くかどちらかを選ぶのよ」と私が言うと「えーなんで」と言いながら「選ばなきゃあいけないの」と言い最後には「じゃあ学校へ行く」と言いました。何でこんな正直で可愛くてピュアな子が罪を犯したのかと不思議に感じるような子どもでした。あんなに勉強が嫌いだったその子も大学生になりました。

人間は何かのきっかけで生き方が変わることもあるのです。この現実を目の当たりにすると「ああ、保護司もいいのかなあ」とひと時思い、そしてまた悩む日々が始まります。

2017年7月5日水曜日

祭り~大きな更生事業

                      府中地区 小澤 量

 府中には、五月三日~六日に行われる通称「くらやみ祭り」があります。起源を国府時代に持ち歴史的にも深く、参加者も府中のみならず、三多摩一円さらには23区西部・埼玉・神奈川にまで拡がる日本でも有数の祭りだと氏子衆は自負するものです。


 くらやみ祭り  (府中観光協会HPより)
 かつては、荒々しい祭りでしたが、今では女性も参加できる祭りになっており、旧住民のみならず、新住民も参加できる体制を志向する町内も増えております。

 さて、くらやみ祭りのような規模のお祭りでは、祭りのための時間的金銭的負担も大きく、場合によってはケガもします。それでもなぜ、祭りに参加するのか?結局は、人との関わりではないでしょうか?

 くらやみ祭り(神輿)前列左端が筆者
 私の町内でも、マンションの方を誘い、その後、その方たちが町会役員、老人会役員になっていただくケースが多くなっています。一度でも府中のような密度の濃いお祭りに参加すると、理屈損得を超えた一体感を持てるようになるからだと思います。

 さて、保護司的観点から祭りを見ると、青少年と町との関わりに気が付きます。特に、やんちゃが過ぎ、将来に不安を感じる子ほど、昔は祭りに出ました。その後、道を踏み外す人もいました。しかし、それでも祭りには帰ってくるのです。

 祭りに出れば、顔も素性も知られます。先輩や両親・祖父母の代の方との付き合いもあります。そうやって、町の中での自分の立ち位置や役割ができます。外部の視線も気になります。一人ではなく、様々な関係の中で生かされている、このように感じることもできます。

 「府中の祭りは大きな更生事業」と説明してくれた元高校教師もいました。そのような祭りを先人たちが守り続けてきてくれたことに感謝しないではいられません。

2016年10月28日金曜日



茄子と心と

                                        北多摩東地区保護司会 三鷹分区 星野直治


 私は三鷹市で農業を営んでおります。野菜栽培で主に茄子を作付けしています。1本の木で10個や15個を収穫するには畑に植えておけば育ってくれるでしょう。しかし1本の木で100個以上収穫するにはそれなりの日頃の手入れと管理が必要となります。

 しかも市場出荷となりますといかに A品を多く収穫するかが課題です。A品は最高の品質と評価され、高値で取り引きされます。市場には全国各地より沢山の茄子が出荷されてきます。この中でいかに高値で取り引きしていただけるかが生産者の目標とするところです。品物が良ければよいということも大切ですが、それよりも信用がなによりも大切となります。
 
茄子は日頃の管理をしっかりとしておけば、それに必ず応えて良い実をつけてくれます。管理を怠れば、それなりの結果が出ます。

 私は保護司を承ってから5年目を迎えた頃より野菜作りも子育ても健全な人間形成をしていく上で共通するところがあるのかなと思うようになりました。毎月来訪する対象者に自分の家族と同じように接し、話を聞き、話し相手になってあげることが実りある保護司の活動の第一歩だと思います。はじめから「それは悪い、あれは悪い」では月2回の来訪も1回になり、1回の来訪も遠のき、やがて来訪もしなくなってしまう。野菜作りではないが、面会はその都度心を込めて接することが大切になってきます。

 私共の分区で定年を迎えて辞める方が多くなってきました。1年未満の新任保護司が2名の対象者を受け持っている場合があるくらい、保護司が欠員しています。保護司になってほしい旨お願いしますと、本人が保護司を引き受けてもよいと思っていても、家族からの反対があるということも耳にします。これからは私共が保護司として誤解のないよう充分に説明をしていかなければならないと考えております。さらに、保護司の大切な役割を地域の人びとに理解していただくための努力も必要かと思います。

 

 海の幸を堪能する東北紀行                         
      
     府中地区保護司会 内藤 治
 
 2011年3月11日の東北大震災発生以降、機会をとらえて数回被災地を訪れている。現地を実際訪れるとテレビなどとは異なる臨場感があり、改めて地震・津波の威力を思い知らされる。跡形もなくなった街や集落、破壊された建物のむなしい残骸、陸に上がった大型の船など、衝撃的な光景だった。時間の経過とともに、復興が見える形で進んでいる所、あるいは、まだ遅々として復興が進まず取り残された所など様々だ。
被災地の実情を自分の目で見て、被災者の声にならない声を肌で感じて、人々の生き様を見て、そして、被災された方々の思いに少しでも寄り添うことは、現代を生きる日本人としての責務であると思う。
地酒を味わいながら美味しい海の幸を堪能して楽しみ、そして、地元にお金を落とし、被災地の景気浮揚にほんの少しだけ貢献することも、立派なボランテイア活動かもしれない。
日本に起きた未曾有の大災害の記憶を風化させることなく、見て感じたことを次の世代へ語り継ぐことは、保護司活動と優劣つけ難い大切なことだと思う。震災が発生して6年経過したが、まだ東北の被災地を訪れたことのない方々にひと言。今ならまだ間に合うので、激甚災害の記憶を心に焼きつけるために東北を訪ねよう。

 

2016年9月16日金曜日

   

保護司としての10年を振り返って
 
                     町田地区保護司会 南分区 矢口昇

 幼い頃より毛筆が好きだった私ですが書道塾に通うことが叶ったのは大学に入学した後のことでした。師匠の人柄にも惹かれ、一層書の鍛錬に打ち込む大学時代を送りました。卒業後は大学職員として就職しましたが、書に携わりたい気持ちが強く、周囲からの後押しもあったことでサラリーマンと書道塾指導者として二足の草鞋を履くことになりました。
 
幸いなことに小・中学生、殊に小学生は習字・そろばんの塾通いがブームの時代、開設後数年で常時4050名の児童と大人45名を抱える教室となりました。仕事との兼合いに懸念もありましたが、家族の協力も厚く環境の変化等から閉めるに至るまで約15年は、年12回所属会の選抜展にも大型作品を出展するなど存分に趣味を謳歌出来た時間でした。

 50代半ばになり、地域活動(町内会)等に関わり地元の郷土史に目を向ける機会がありました。大学での専攻は日本史と生来歴史に関心の高かった私は、歴史を調べるに参考となる町内の地誌歴史本がないことを知り、これは何とかしなければと能力不足も顧みず町内で郷土史研究会を組織し今に至ります。現在はこの郷土史研究をライフワークと位置づけ、数年後には郷土史本を刊行したいと考えています

  気付けば今年で保護司となり10年となります。身内先の先輩保護司に推薦の話をいただくまで自身が保護司となることなど考えたこともありませんでしたが、振り返ると書道塾で児童と関わったこと、地域団体コミュニティに所属し自主的に活動すること、大学職員時代に就職部の一員として多種多様な学生と面談した経験など、没頭した趣味と長く従事した仕事の双方が保護司としての活動の糧になっていると感じます。

自身の足跡を振り返り、改めて、今後も体力の続く限りより一層地域社会や対象者をはじめとした人々に頼りにしてもらえるような自分でありたいと考えております。