2024年3月27日水曜日

保護司つれづれ

 


西多摩地区保護司会 あきる野分区 岡部秀敏

令和6年1月1日(月)「令和6年能登半島地震」が発生し多くの人々が被災されました。心からお見舞いを申し上げます。

平成7年1月17日には「阪神・淡路大震災」が発生し、平成23年3月11日には「東日本大震災」が発生しました。日本は、その経験をも踏まえ能登半島地震への対応が行われていると感じています。マスコミの報道を見ていると、二つの災害を含め過去にあった災害の経験をも超える対策が求められていると感じます。対策に携わっているすべての人々に敬意を感じています。

しかし、日がたつにつれ不心得な行動をする人がいるという報道に触れることがあり憤りを覚えます。自分の家族との話の中でも「そのような人の気持ちが理解できない。」という話をしています。

さて、70歳を超えた自分に今何ができるかと思うとき、日常の中で「自分が自分できることを懸命にやること、人に迷惑をかけないように生きること」だと思います。自分の人生を振り返ると「与えられた時に、与えられて事を」懸命にやることで生かされてきたのではないかとつくづく思います。

今は、保護司として対象者と向き合う時間がその時間だと思います。向き合う時間は懸命に向き合っています。しかし、懸命に向き合うとき「心の安らぎ」が必要だと思っています。災害にあわれた皆さんも「安らぎの場」が必要ではないかと思います。時間はかかると思いますが早く「安らぎの場」が持つことができ、新たな生活が始めることができるように祈るばかりです。

私は、生まれ家〔東京都西多摩郡檜原村人里の山の中腹(標高700m)に「憩いの郷・大野荘」と名付けた古い家(眺め抜群)〕に月に12回行き、「安らぎの場」として掃除や整備を続けながら、これからも与えられた役割を果たしていきたいと思っています。(写真は大野荘からの眺めです。)

2023年11月1日水曜日

「誰もが幸せに、健康長寿」

                                             日野・多摩・稲城地区保護司会 日野分区 谷和彦


 日野市では、令和5年度から令和9年度までを計画期間とする第2次スポーツ推進計画がスタートしました。

 「誰でもスポーツに取り組みやすいまち」を基本理念とし、市民一人ひとりが主体的に取り組めるスポーツ環境の充実を目指しています。

 また、目標 の1番目として成人の週1回のスポーツ実施率を 58.4%から70%に、これは週 1 回以上のスポーツ実施率が、東京都の掲げる世界トップレベルの 70%となることを目指しています。

 スポーツは、まちづくりや健康、さらには文化的水準を上げることにもつながります。歩きたくなる「まち」の形成、都市基盤づくりを行うことにより、その「まち」の価値を上げると共に、スポーツ実施率の向上、健康寿命の延伸、医療費の削減につながります。

 さて、私事になりますが、今年は3つのマラソン大会に参加と富士山登頂を成し遂げました。日頃の練習と準備、富士山に関しては行動計画をしっかりと立てることも必要になります。これらのことが、無事故で成功裡に終わらせる鍵になります。富士山頂は新型コロナウィルスが5類に移行後初めてのシーズンになり、海外からの登山者が多数いました。健脚を競うが如く登頂者が数珠つながりになり、山頂は多くの登山者で賑わっていました。東日本大震災後には気仙沼大島マラソンにも出場し、被災地支援もさせていただきました。スポーツを通しての交流は幅広い交流になり、金銭での支援では出来ない、心の交流につながるものと確信します。

 結びに、スポーツが出来る、健康で生活出来ることに感謝し、健康につながる様々な各種行政の取り組みに期待します。

2023年10月1日日曜日

「北の大地のK氏へエール!」

                  町田地区保護司会 南分区  鈴木 忠


 この8月をもって保護司を退任されたK氏は、拝命する以前から知人弁護士の依頼で、施設を出ても行先の無い人に「衣食住+仕事」を提供していました。町田地区保護司会の中に協力事業主会ができた時には、率先してこの事業に参加し、会の役職にも全力で尽力されていました。

 ある日の夕方、K氏の会社(建設業)に20歳くらいの対象者が来ました。3時間に及んだ面接で対象者は、K氏や担当保護司に対しても殊勝に素直な受け答えをしていました。ところが一夜明けたら、高額な会社の機器を持ち出して行方不明になってしまいました。その業務に必要な機械は、八方手を尽くして買戻しをしましたが、2重の損害だと話していました。このような事案の時の賠償制度もご存じのK氏ではありましたが、多忙な業務の中での賠償申請には二の足を踏んで「仕事を頑張ってその分を取り戻す」と前向きに笑顔で語っていました。その姿は、今も脳裏に鮮やかです。

 協力事業主制度は、対象者にとって再犯防止のために必要な制度です。その運用には、しっかりと個々の対象者とその事業所に寄り添った形で進めることが大事で、各分野の専門家のアドバイスとネットワークは、この制度のさらなる発展につながると思います。

 K氏は今、北の大地で日本のビッグプロジェクトにその手腕を発揮すべく新たな奮闘を開始されました。

 健康第一に頑張っていただきたく、南の地からエールを送る次第です。



2023年9月2日土曜日

雑木林の環境保全

                       府中地区保護司会  住﨑 岩衛


実家は農家で市内に畑と多摩市和田に雑木林があった。H13年父が他界し、相続発生し、企業を退社し相続に向かいあった。

雑木林が1.1ヘクタール超えの里山評価額を調べると路線価19万8千円。私が相続すると開発を前提に相続することになり、江戸時代から続く里山を今の姿のまま残す策は、行政に寄付をする答えのみであった。当時は、京都議定書が議論され採択された時代であった。

 

寄付に至る前に国・都の緑地保全策を調べたが、今の雑木林の姿を残す仕組みは何一つ無く、多摩市長を訪ね「農家の維持管理を継承する条件」で寄付に至った(諸経費も自己負担)。

行政に雑木林を寄付することで相続税は免除される。2004年多摩市で開かれた全国雑木林会議(多摩市・町田市・稲城市・八王子市・川崎市・横浜市・日野市)の「里山の法と整備」分科会で、パネラーを担当し里山保全をする上で、法整備が無い現状を説いた。

 

私は、H14年から建築事務所と農業の二足の草鞋を履き続けている。農家の基本である土づくり「雑木林のくず掃き・里山保全啓発活動」を毎年続け、今年で22年を迎える。江戸時代から続く雑木林の恵みを、畑に循環を続けている。「なな山緑地の会」は会発足からT会長・A副会長を始め会員の皆様、公園緑地課K主査の協力があって、20年間活動が続いている。雑木林は環境学習の場であり、多くの方々に愛されている。最近の環境学習では、府中市民支援センタープラッツの紹介で、明星学苑小学5年生100名、早稲田大学のOB・OGが20名の皆さんと、環境学習を開催した。

雑木林の植物調査を実施し、東京都立大学牧野記念館に収納する活動を進め382点の「さく葉標本」を収めた。2018年TMUギャラリーで開催した植物標本展を開催し多くの市民が訪れた。今後も里山保全活動の啓発に努めて行きたい。

2023年8月2日水曜日

サーカス公演の客席で

                                                            北多摩北地区小平分区    森 田 健 次

 

 今年の上半期に何十年ぶりに立川市で開催されたサーカスを観に行ってきました。某新聞社主催でマスコミなどでもいろいろ取り上げられていたので実際に観覧された方もいらっしゃると思います。私たちが子供のころに経験して刷り込まれているサーカスのイメージとは程遠い、コンピューターで制御された音と光を存分に取り入れた現代感覚あふれる素晴らしいショーでした。

 しかし観客席に座っていて気になったことを書いておきたい気持ちに駆られてしまいました。休憩時間を含んだ2時間でしたが、後ろの座席の若い女性二人組から絶え間なく聞こえてきた言葉が何と二つだけだったことです。決して大袈裟な表現ではないことは隣に座っていた妻が証明してくれるはずです。それは「かわいい」と「やばい」でした。猛獣使いの筋骨隆々のおじさんに対しては思わず「かわいい」ではなく「かっこいい」の言い間違いだと指摘したい気持ちを持ちましたが、あいにく指摘するほどの勇気は持ち合わせてはいません。使ってはいけないというような暴論を吐くつもりは毛頭ありません。また、今はそれで充分通じるのだと言われればそれまでです。平日の、昼間、二人組がどのような関係かはわかりませんが中学生や高校生ではなさそうです。普通の会話が聞こえてこないのと、声を発するにしても申し少し表現の幅があってもいいだろうと思いながら舞台を眺めていました。大きなお世話であることは承知の上で敢えて言いますが、このような表現や遣り取りが一般的であり、なおかつ人と人がそれでつながっているとしたら古い人間としては何ともやり切れない気持ちでした。妻との帰り路殆ど会話らしい会話もなく我が家の玄関にたどり着きました。もしかしたらこちらの方が重症かもしれませんね。

2023年6月1日木曜日

大正琴とのであい

                                                                    西多摩地区保護司会   平田 みつ枝 

 父親と同じ職業を目指し、小さい頃から剣道を習っていた私がある日武道だけではダメと言われ、生田流箏曲もたしなみの一つとしてお稽古を始め看板までいただいた。そのおかげで、公務員として無事に定年退職を迎える事が出来、さてこれから何か地域に関わる事が出来ないかと思っていたところ偶然ポスティングされていたチラシに心が動かされたのです。

 「文化教室 大正琴をやりませんか」の文字を見た瞬間なぜか父親の顔が浮かんだのです。父はとても厳格で本人が間違いだと気付くまで、正座をさせられた事もありましたが反面、同じ九州人の村田英雄が好きで、よくレコードを聴いていました。その中でも特に「人生劇場・無法松の一生」を口ずさんでいました。私は、そのチラシを見て是非、大正琴を習いたいと思い文化教室に申し込んだのです。

 10回コースのうち既に何回か進んでいましたが、箏曲をやっていたお陰で順調にお稽古が出来、気がつけば10年が過ぎました。その間、文化祭やボランティア活動で高齢者施設で演奏したり、小地域活動で演奏したりと、少しではありますが、地域に関わる事が出来、また家元や講師の先生方と刑務所慰問に行ったりと大正琴を始めて色々な体験が出来ています。

 何よりも大正琴を習って一番嬉しいことは、父が大好きだった村田英雄の「人生劇場・無法松の一生」を演奏出来た事です。出来れば父が存命中に聞かせてあげたかった。と思うものの、大正琴を弾いて父親の想いに浸る時間を大切に持てることが何よりもうれしくしい時間です。

 さあ今日も「じょんがら女節」「風雪流れ旅」の練習をして、三味線の音色も父に聞いて貰おうかな!?

2022年12月15日木曜日

きっかけがあれば

                              府中地区保護司会 田中節子

仕事柄、障害のある方と接することが多いが、ある老健施設で一人の80代の女性に出会いました。地方に住む娘に迷惑をかけたくないと頑張って一人暮らしを続けてきましたが、腰の痛みや足の痺れが強くなり、外出もままならず家事にも支障をきたすようになりました。何とか自分の力で頑張りたいという願いは、この状態では難しく思われました。元の生活に戻れないかもしれないと不安な気持ちで過ごしていた頃です。その頃、話題になっていたのが「置かれた場所で咲きなさい」という本でした。読んでみたいということで本を貸し出しました。本を読んだことをきっかけに、少しずつリハビリにも前向きに取り組むようになり、痛みも次第に薄れて施設内は自由に歩けるようになりました。「本が背中を押してくれました」、「もう暫く頑張ってみる」と笑顔で退院されました。

ある日の新聞には「84歳人生輝く仕上げ縫い」という記事がありました。80代の男性の人生を輝くものに変えた「がま口バック」のことです。その男性は3年前まで病気などでふさぎ込む生活でしたが、元気がないのを心配した娘さんが職人の心を取り戻してほしいと、元職人のお父さんにミシンの修理を依頼したことがきっかけでした。針の動きに興味を持ち、最初は娘さんの依頼でブックカバーを作り、コースター、ポーチと次々製作していきました。それを、孫がツイッターで「じーさんソーイング」という名前で投稿したことがきっかけで多くの注文が寄せられ、毎日ミシンに向かい生き生きとした生活を送っているという記事です。新聞には素敵な笑顔が載っていました。


高齢になると身体的、精神的な不調を抱え、今まで通りにはできないことが多くなります。それを受け入れる心のありよう、それを支える家族や周囲のサポーターの存在が今を乗り越える力添えをしてくれると思います。

小さい頃から支えてくれる家族等に恵まれない対象者を担当することがあります。対象者との出会いが立ち直りのきっかけとなり、諦めず今できることをやり抜く力を養えるようにサポートしていきたいと思います。継続は力なりを信じて。

高齢のお二人から、きっかけがあれば人は変われる、必要とされる場があれば何歳になっても輝けることを教わった気がします。