2013年7月31日水曜日

西多摩の市町村の合併と変遷

西多摩の市町村の合併と変遷 ー 行政区 今昔 ー
                                                                                                広報部 武内 昌一
 総務省によると平成の大合併で全国の市町村の数は、平成11年3月末で3,232あった市町村が、平成25年1月1日現在で1,719市町村になったという。西多摩地域において、市町村の合併の特例等に関する法律で合併したのが旧五日市町と旧秋川市で、新たに「あきる野市」が平成7年9月に誕生した。これにより西多摩の行政区画数は8となった。 誕生以前の同市及び各町村名はどうであったかとなると、法が整備され施行された明治時代の初期まで遡及しなければならない。
 明治4年(1871年)戸籍法の制定で住所氏名等の各役場への届出が義務づけられた。一方、市町村の法制度は、明治11年、郡区町村編成法が、次いで同21年に市制町村制の公布で市町村が再編成された。明治政府による強制的な町村合併により、全国に約70,000あった町村の数が13,300余へと激減、再編された。西多摩郡においても98あった郡内の町村名が32町村となった。消え去った村名は現在”何々丁目”、或いは”大字何々”でその一部が現存している。明治中期から大正初期の町村名は、当家に保存されている大正3年(1914年)発行の西多摩郡役所の東京府西多摩郡第一回郡勢一斑、及び各市町村史によると以下の通りである。
------明治~大正-------------------------------------------------------------
※町は青梅町と五日市町 
※村は30村(西から)
・小河内村,氷川村,古里村(現奥多摩町)
・檜原村 (現檜原村)
・三田村,吉野村,成木村,小曽木村,調布村,霞村(現青梅市)
・小宮村,明治村,戸倉村,三ツ里村,増戸村(旧五日市町)
・大久野村,平井村(現日の出町)
・西多摩村(現羽村市)
・長岡村,箱根ヶ崎村,石畑村,殿谷村 (現瑞穂町)
・菅生村,草花村,瀬戸岡村,原小宮村,西秋留村,東秋留村(現あきる野市)
・福生村,熊川村(現福生市)  
------現在--------------------------------------------------------------------
※現在の行政区の市と町の誕生は次のようになる。
※現在の人口についてはカッコ書で示している。
 青梅市、福生市、羽村市は平成25年4月1日現在、その他は5月1日現在の人口。 

●奥多摩町(人口 5,753人)
・昭和30年 小河内村,氷川町,古里村が合併 奥多摩町誕生
 
青梅市(人口 138,431人)
・昭和26年 調布村,霞村と合併 市制施行
・昭和30年 三田村,吉野村,成木村,小曽木村を編入
 
日の出町(人口 16,993人)
・昭和30年 大久野村と平井村が合併 日の出村誕生
・昭和49年 町制施行
 
羽村市(人口 57,133人)
・昭和31年 町制施行 羽村町誕生
・平成3年  市制施行
 
瑞穂町(人口 33,801人)
・昭和15年 長岡村,箱根ヶ崎村,石畑村,殿谷村が合併 町制施行 瑞穂町誕生
・昭和33年 元狭山村の一部と越県合併
 
あきる野市 (人口 81,818人)
・大正10年 菅生村,草花村,瀬戸岡村,原小宮村が合併 多西村誕生
・昭和30年 多西村、西秋留村、東秋留村が合併 秋多町誕生
・昭和47年 市制施行  秋川市誕生
・平成7年  五日市町と合併 あきる野市誕生
 
旧五日市町
・大正7年  三ツ里村、明治村と合併
・昭和30年  小宮村、戸倉村、増戸村が合併 
・平成七年  秋川市と合併
 
福生市(人口 59,055人)
・昭和15年  福生村と熊川村が合併 町制施行 
・昭和45年  市制施行            
なお、檜原村の人口は2,502人である。


郡勢一斑によると当時の西多摩郡の人口は、大正2年に集計した記録で86,413人。現在の人口は約395,400人となっている。初めての西多摩郡の統計だった調査報告書、第一回郡勢一斑が東京府で編纂され発行されてから百年、一世紀を経た変遷の一部を紹介するものである。

[参考文献] : 東京府西多摩郡第一回郡勢一斑,日本全史(講談社),新編武蔵風土記稿 三多摩編(復刻版 千秋社),西多摩各市町村史及びHP

2013年7月2日火曜日

砂漠植林活動 - いきさつとその後の活動 -

砂漠植林活動 - いきさつとその後の活動 -
                                                                                                北多摩北地区保護司会
                                                                                          東村山分区  山中 勝美
    2004年度のノーベル平和賞は、アフリカ・ケニアのワンガリ・マークイ女史で、女史が提唱、中心となって推進した「アフリカの砂漠に緑の衣をかけよう!」30数年間の植林実績が認められた。私の記憶では、30~40年前、日本でもメディアに取り上げられ、砂漠植林‥・は夢となり火種として残っていました。
 10年前、定年を2年残し退職。1ヶ月後の3月末には、中国内蒙古自治区の主都「恩格貝(オンカクパイ)」の西200 k mの「呼和浩特(フフホト)」の砂漠の地に立ち、その後6ヶ月間(9月末迄)長期ボランティアで入りました。退職する一年前の8月、「日本砂漠緑化実践協会」の募集したツアーに参加し、植林作業の爽快さや植林の意義、退職後の自己実現に合致した活動と思っていました。砂漠地は、標高千mと高く、冬は零下2・30度ですが、春、秋はなく夏と冬のみです。夏場の気温は摂氏40度前後と暑いですが湿度が20%と少なく、日本の蒸し暑さは感じられません。
 植林の一連の作業は砂地に①直径40cm、深さ約1mの穴掘り。②ポプラの苗(3年経過、直径3cm、枝・葉を取り、長さ2.5m)を挿入。③砂の埋め戻し(8割程)。④水鉢作り(苗の周囲に土手を作る)。⑤水鉢内にタップリ水を張る。⑥水鉢内の水分が蒸発しない様に乾いた砂をかける。  ①~④を行ったあと⑤、⑥をまとめて行う。
 長期ボランティアは④~⑥を年間1万本×3年間‥・苗木管理として世話をします。また、作業の中には植林した本の横枝剪定や、蘭(ヒコバエ‥・植えた根から出た枝)を切る作業も行います。私は「東村山市日中友好協会」に砂漠植林を働きかけ、2004年(平成16年)~現在に到り、毎年「東村山緑の協力隊」を編制(隊は10余名)し行っており、平成25年度でちょうど第10次隊となり、延べ人数90余名、植林本数5,000本、小さな森となっています。
 関心のある方へ、砂漠植林の講演やご相談をお受けいたします。又、東村山緑の協力隊と一緒にご参加願います。
ご連絡は、左記メールフォームからどうぞ。