2025年5月6日火曜日

「思い出の美ヶ原」

 

                    府中地区保護司会    小澤 秀敏

 

 中学3年生だった昭和41年7月、下校時に我々クラス仲間4人が校門の近くを通るとリヤカーで砂利を運んでいる人が目に留まった。よく見ると、4月に着任した校長先生ではないか。今まで一度も話をしたこともなかった先生だったが、誰からともなく先生の作業を手伝い始めた。心地よい疲労感の後、帰りがけに校長先生が口にしたのは、「君達、夏休みに山に行かないか?」という信じられない言葉だった。そして皆で相談し、親にも許可をもらった上で、連れて行って頂くことにした。学校の図書館で調べた結果、長野県の美ヶ原高原を候補として先生に相談、行き先は「美ヶ原」となった。

 8月中旬、新宿駅から中央本線の夜行列車に乗り、早朝松本駅で下車、路線バスに
乗って美ヶ原高原へ。記憶は定かではないが昔ながらのボンネツトバスだったと思う。そのバスはともかく、女性の車掌さんが素晴らしくて、優しさに溢れた接客態度に心が温かくなった。バスは停留所を外れたところで手を挙げた人を乗せたりして、ゆっくり山道を登って行った。車掌さんの振る舞いを見て感動したのは私だけでなく、4人の少年全員だったことが後でわかった。

  美ヶ原は本当に美しいところで、咲き乱れる高山植物はもとより、自分達のやまびこを聞いたり、ケルンを積んだり、山が初めての少年達にとっては新鮮な驚きばかりであった。着いたその日は快晴、キャンプ地に着くと、校長先生の指示の下、持って行ったテントを張り、周囲には夕立用の溝を掘り始めた。その時、近くのテントから「今日は雨なんか降らないよ〜」という我々の作業をあざ笑うかのような言葉が聞こえてきた。ところが、作業を済ませて間もなく、俄かに雲行きが怪しくなり、大粒の夕立がやってきたのだ。近くのテントでは大騒ぎ、そして慌てて溝を掘り始めている。彼らの作業をテントの中で見ながら5人で大笑いした。

  翌日、列車に乗る予定で松本駅へ出たが、駅前で声を掛けてきたのが陸送屋さん、新車のトヨタクラウンで府中まで一人400円と言われて承諾した。列車より安かったのだが、まだ中央自動車道がない時代、曲がりくねった甲州街道を滅茶苦茶飛ばすので、生きた心地がしなかった。今でも当時の仲間と飲むと決まってこの話で盛り上がる。中3の夏の思い出である。