2021年4月4日日曜日

五日市憲法草案の地

                                                                     西多摩地区保護司会  原島 悟

 

西多摩地区保護司会は、東京23区面積とほぼ同じ広さで、431村の8行政の分区から構成されています。豊かな自然や歴史に恵まれ文化人や著名人など多くの人々をひきつけ、豊かな文化圏を形成してきました。

東京都の有形文化財にも指定され、現在の憲法にも相通ずる点のある五日市憲法草案を調べてみました。明治14年に作られた五日市憲法草案は、明治10年代の自由民権運動が盛んな時期に、全国各地で作られた私擬憲法草案(民間有志による私案の憲法)のひとつ。昭和43年(1968年)にあきる野市(当時の五日市町)深沢にある深澤家の土蔵の中から発見されました。

標題は「日本帝国憲法」と書かれていましたが、発見者である東京経済大学の色川大吉教授によって「五日市憲法草案」と命名された憲法の草案の起草者は、現在の宮城県栗原市出身の千葉卓三郎です。

明治13年(1880年)五日市で教員として勤務し、学習結社である学芸講談会の活動を通じて自由民権運動に多大な影響を与えた人物です。彼とともに活動し大きな援助を与えたのが、盟主深澤名生とその長男権八親子です。

全部で204の条文が和紙24枚に筆文字で記されており、非常に条文が多いことが特徴で、国民の権利に関わる内容を多数盛り込んだ草案です。