2016年9月16日金曜日

   

保護司としての10年を振り返って
 
                     町田地区保護司会 南分区 矢口昇

 幼い頃より毛筆が好きだった私ですが書道塾に通うことが叶ったのは大学に入学した後のことでした。師匠の人柄にも惹かれ、一層書の鍛錬に打ち込む大学時代を送りました。卒業後は大学職員として就職しましたが、書に携わりたい気持ちが強く、周囲からの後押しもあったことでサラリーマンと書道塾指導者として二足の草鞋を履くことになりました。
 
幸いなことに小・中学生、殊に小学生は習字・そろばんの塾通いがブームの時代、開設後数年で常時4050名の児童と大人45名を抱える教室となりました。仕事との兼合いに懸念もありましたが、家族の協力も厚く環境の変化等から閉めるに至るまで約15年は、年12回所属会の選抜展にも大型作品を出展するなど存分に趣味を謳歌出来た時間でした。

 50代半ばになり、地域活動(町内会)等に関わり地元の郷土史に目を向ける機会がありました。大学での専攻は日本史と生来歴史に関心の高かった私は、歴史を調べるに参考となる町内の地誌歴史本がないことを知り、これは何とかしなければと能力不足も顧みず町内で郷土史研究会を組織し今に至ります。現在はこの郷土史研究をライフワークと位置づけ、数年後には郷土史本を刊行したいと考えています

  気付けば今年で保護司となり10年となります。身内先の先輩保護司に推薦の話をいただくまで自身が保護司となることなど考えたこともありませんでしたが、振り返ると書道塾で児童と関わったこと、地域団体コミュニティに所属し自主的に活動すること、大学職員時代に就職部の一員として多種多様な学生と面談した経験など、没頭した趣味と長く従事した仕事の双方が保護司としての活動の糧になっていると感じます。

自身の足跡を振り返り、改めて、今後も体力の続く限りより一層地域社会や対象者をはじめとした人々に頼りにしてもらえるような自分でありたいと考えております。