調布狛江地区保護司 柿澤正夫
私は、昭和48年名古屋保護観察所で保護観察官を拝命し、関東地方更生保護委員会で退職するまで約38年間、更生保護の仕事に携わってきました。その後、調布・狛江地区の保護司を拝命して既に5年目に入っています。保護司を拝命してすぐに担当を依頼された4号観察の方は、仮解除にこそならなかったものの、4年間を無事に過ぎようとしています。
この4年余り保護司として活動する中で、保護観察官と保護司の違いはどこにあるだろうと時々考えてきました。結論的に言いますと、保護観察官は職務(「義務」と言ってもよいと思います。)として保護観察を行い、保護司は「喜びを得るため」(「楽しみのため」とも言えると思います。)保護観察を行うと言えると思うようになりました。このように言うと、保護司は対象者が来訪しないときなど、何度も家まで出かけていくなど大変なんだ、「楽しみのため」とは何事だとお叱りを受けそうです。しかし、そうして苦労させられた対象者が立派に更生して結婚した時などに感じる喜びは、保護司でこそ味わえるものです。私は、4号観察の対象者の就職が決まりそうだと報告を受けた時に、保護観察官の時には感じたことがない喜びを感じました。結局、就職はかなわなかったのですが、あの時の喜びは何だったのだろうと思います。
保護観察官は、職務として保護観察を行っていますので、いろいろな義務が伴います。その中で最も大きいのが再犯の防止です。保護観察対象者が再犯をした時には、保護観察官は何故再犯に至ってしまたのか検証しなければなりません。その過程で処遇に問題があれば厳しく指導を受けますし、場合によってはマスコミで取り上げられたり、あるいは政治問題にもなります。そのため、極端に言えば、保護観察官は再犯の観点から対象者を見ています。就職は再犯から一歩遠のいたことになりますし、家庭でのいざこざの発生は再犯の虞が大きくなったと言えます。保護観察対象者が結婚をし、子供に恵まれることは、保護観察官にとっては再犯から遠ざかったことで安心感は抱きますが、保護司が感じるように、対象者の人間の成長に対する喜びは薄いように感じます。
このことは、保護観察官と保護司の仕事の分担にも関わります。保護司は対象者との人間的な関わりの中で対象者の更生を指導するのに対して、保護観察官は専門職として多少距離を置いて対象者と接しています。日本の更生保護制度は、専門職としての保護観察官と地域性を持つ保護司との協働態勢で行われていることに特色があるとよく言われますが、保護司の特色は、地域性のほかに対象者との間で人間的な関係を築ける点にあり、この点にこそ最も大きい特色があると言えます。
保護観察を受けている対象者から見た場合、保護観察官は「役所の人」「約束を守らなければ不利益を与える人、約束を守れば解除をしてくれる人」という印象が強いと思います。呼出し、出頭指示、仮釈放等の取消、あるいは保護観察の解除など、保護観察官には法の執行者という側面が強く印象付けられます。これに対して保護司は、「近所のおじさん、おばさん」「うるさいことを言うけれど相談にも乗ってくれる人」という印象が強く、どこか頼れる人というイメージが強く働きます。保護司との関係では、法の執行者という側面は最小限に抑えられているのが現実です。
アメリカやイギリスでは保護司制度がありません。保護観察官が専門的なプログラムを駆使して保護観察を実施しても、保護司のように日常的に顔を合わせ、長い時間をかけて対象者と人間的な関係を結ぶ中で、対象者に影響を与え、その更生を図っていく人はいません。私は、アメリカやイギリスなどで保護観察が必ずしも思うような成果を上げていなのは、保護司やこれに類する制度がないことが原因の一つであると思います。
来年、世界保護観察会議が東京で開催されます。この会議の大きいテーマは保護司制度です。フィリッピンやタイ、シンガポールなどアジアの国々では保護司制度が活用されていますが、これに対してヨーロッパやアメリカの国々がどのような評価を与えるか楽しみにしています。