2014年5月11日日曜日

            五合庵探訪

                    北多摩北地区(東久留米分区) 原 健一

 

だいぶ前のことであるが、ある研修で先輩保護司の講話の中での言葉「犯罪は何時頃から存在していたか、人類発生の時代から存在した」と。研修内容はほとんど記憶に無いのですが、そうなのかどうかは別にして、この言葉だけは記憶に残って、しかも時々思いだすのです。
 何故にそうなのであろうか。

 そんな想いに誘われたのか、その後越後の国上山五合庵を訪ねる機会があった。若葉の頃です。五合庵は新緑の中に建つ六畳一間きりの木造茅葺の小さな庵で、往時のものは倍程度広かったといわれているが、静寂そのものでした。

 
 
 沙門良寛は玉島の円通寺で修行、諸国放浪後に越後に戻り、主に蒲原平野の里を托鉢し里人に法施しつつ、ここに後年十数年寄住し思索した。往時の状況は知る由も無いが「無欲一切足 有求万事窮」の清貧生活だったと伝えられており、また多くの歌、詩、墨書を今日に残している。
 では、良寛は何を伝えたかったのだろうか。 

 良寛の歌に「何ごとを営むとしもなけれども閑に暮らす日こそ少なき」があるが、その憂いとは何だったのだろうか。
 俗界の凡人には知り得るところではないが、一時間半ほど何思うことなく滞在、訪れたご夫婦に写真をお願いして五合庵を辞した。

 その日は麓の長寿苑に宿泊した。近年は昔ほど雪も多くないと宿の人は話していたが、往時の厳しい状況のなかで騰々任運の生き様に思いをめぐらすと「何故にそうなのであろうか」などと思うおのが不明を恥じるのみであった。




          経済格差と教育格差
     
    

                               

                                                                                調布・狛江地区  ASUKA


犯罪の原因の一つは経済格差にある。経済格差は教育格差とつながる部分もあり、教育扶助受給率と学力試験の平均点と相関関係がある。扶助受給率の高い市区の平均点は低いところと科目あたりで10点もの差がつく。


格差に苦しむ子供たちは、きちんと自分の気持ちを表現出来ないのだが、こうした経済格差を肌で感じながら、何となくイライラして育っていくように感じられる。この経済格差によるイライラ感は子供たちの努力によって解消されることはない。

私事で恐縮だが、学習塾を経営しており、高い料金を払えば子供にとって最良の学習環境を整えることができ、格差は広がるばかりだ。こうした状況に何とか立ち向かい、解決の糸口を探し、少しでも役に立てるよう、通常の月謝の半額以下のクラスをつくり、無料学習会を開き、ネットで授業を無料配信するなど活動を広げている。しかし残念なことに、来て欲しい子供たちは来ず、真面目にきちんと学習する子はさらに勉強する結果となっている。格差を埋めるための活動が格差を広げる活動になるようでいたたまれない。弱者が自らの力とサポートによって力強くそして明るく生きてゆける希望の持てる社会となることを願って、今後も私自身にできることを精一杯やっていきたい。

 

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